銀河鉄道の夜

 少し前まで息子のUは木のレールと汽車で遊ぶのが大好きだった。山ほどある直線と曲線のレールをつなげてレイアウトし、トーマスやらパーシーやらを手で走らせるのだが、そのとき必ず「ごとん、がたん」と言うのがどうにも可笑しかった。「がたん、ごとん」では断じてないのだ。新宿の旅行会社で航空券を買おうとしたときのこと、息子が退屈しているのをみてそこらにある紙とセロテープで電車みたいなものを作ってやるとテーブルの端を線路に見立てて「ごとん、がたん」とやりだした。するとカウンターの向こうからくすくす笑いが聞こえてきた。やはりそれが可笑しいと思うのはぼくだけではないようだった。その「ごとん、がたん」を思い出したのは、夕暮れの京成線に揺られながら旦敬介『旅立つ理由』を読み終えたときだった。
 珠玉の小品集である。ほんとうに越境的な人生を送る者だけがトレースする旅。魔術的に食欲をそそる料理の描写。門内ユキエさんのイラストの鮮やかさ。エンディングの引き締まった余韻。どこまでも淡々とした語り口のなかに秘められた凄みが丁寧な装丁のすべてのページからたちあらわれる。そして最後の「父祖の地への旅」「歩く生活の始まり」に至って文章は静かな高揚感に包まれる。幼児が重力との格闘に勝利して直立歩行を始める瞬間ほど、生命のエネルギーの発露に圧倒されるものはない。
 日暮里で山手線に乗り換え、いつも下車する新宿を通り過ごして渋谷へ向かう。ごった返すハチ公口の人ごみをかいくぐりSaravah東京へ到着したときにはすっかり夜の帳が降りていた。寒いからBUNKAMURAのなかで待っているように言ったのに、入口の扉の前の階段にUはちょこんと座っていた。一番に入りたいといって聞かないのよと妻がため息をついた。扉が開くのを待つあいだ、上のコンビニでおでんとあんまん買ってもらい、さらに管さんからバナナまでいただいて満足そうだった。扉が開くと、一番前の座席をめざして一目散に駆けていった。
 20時、歌手のアナウンスとともに満席の銀河鉄道は出発した。この夜汽車に乗るのは4度目だが、今回は刊行されたばかりの『ミグラード』版によるリーディング。風格と余裕のある完成されたパフォーマンスだった。Uは舞台の白いギターが本物かどうか気になってしかたがない。古川さんの朗読の思わぬところに反応してゲラゲラ笑う。いくつもの声が交錯するお話しと音楽はとてもおもしろかったようだ。「銀河鉄道」のロードムービーがついに来年ユーロスペースで封切りになる。これは必見だ。帰りのバスのなかでどうだった?と聞いたら、スーホの白い馬みたいだったと答えが返ってきた。うーむ、モンゴルか、そうだな、なんか似ているかな、でもカンパネルラとジョバンニはね...と切りかえそうとしたら、もう寝息をたてていた。バス停から家までおんぶして歩いた。重かった。背負子にのっけて山を歩いた頃を思い出す。