ある精肉店のはなし

冷たい雨が一日降り続いた。ポレポレ東中野で纐纈あや監督『ある精肉店のはなし』を滑り込みで観る。大阪市貝塚市にある牛の飼育から屠畜解体、販売までおこなう肉屋さん、家業を継いで7代目となる北出ファミリーの物語。2012年3月に屠畜場は閉鎖された。いのちを頂くということ、被差別部落の問題、流通の大規模化による個人商店経営の圧迫など、いくつもの大きなテーマが扱われている。しかしフィルムが観る者をひきつけるのは、何と言っても北出ファミリーの人としてのぬくもりである。纐纈さんの撮る人間は、いつもとても優しい。牛をさばく仕事がなくなり牛の皮で太鼓の修理へと向かう昭さんの真摯な姿に心打たれる。牛が屠られる様子は緊張する。しかし、ぜひそれを乗り越えて観てほしい。いのち/生きるということについて暖かくずっしりとしたメッセージを受け取ることができるだろう。人間が生きるということがどれだけの犠牲のうえに成り立っているのかを確認することは大切なプロセスのはずである。原発容認は環境に対してどれだけの犠牲を強いていることか。キリスト教が説く「原罪」の現代的な意味を考えてしまう。 人が存在すること自体の意味を問うために、このフィルムを観たい。おごれるものは久しからず。人のあたたかさを確認しつつその問いを考えるきっかけを与えてくれるだろう。