動物のいのち

 寒冷前線の通過だったのだろう、明治大学中野キャンパスに遅刻して到着した途端に猛烈な嵐に見舞われた。シンポジウムはその突然の嵐のようにすごかった。前代未聞のセッションだった。はっきりと境界線の引かれたテリトリーのなかでカノンに従い作法にのっとって進行する一般的な学術シンポジウムとは一線を画し、さまざまな表現者が「動物のいのち」というテーマに、自分の歩んできた道筋から自由自在にアプローチする。いくつもの軌跡が錯綜し、うねり、四方八方に延びていった。ステージから次から次へと圧倒的なエネルギーが放射された。
 小説家、佐川光晴さんの講演の途中から入る。小説家になる以前、屠場で牛をさばいていた頃のお話し。ナイフという道具が人と牛のいのちのあいだにある。生きている牛が食用の肉塊となるプロセスには「いのちのパノラマ」が展開していると佐川さんは語られた。佐々木愛さんのライブ・ドローイングでは鳥のかたちに描かれた輪郭にクレヨンと水彩絵具で植物が描かれていった。紙ににじむ絵具のひろがりには人為を越えた自然のプロセスが感じられる。森をはこぶ鳥はいのちをインプロバイズするのだろうか。「東京ヘテロトピア」の仕掛け人、高山明さんはアメリカ、クリーブランド郊外に留学滞在中、ベトナム戦争帰還兵で戦場でのトラウマから野生動物を相手にゲーム・シューティングにのめり込むホスト・ファーザーに幾度となく狩りに付き合わされたという体験談を語った。アランと言う名のその人はオオカミの群れに入れてもらうのが夢だったのだそうだ。彼は「動物としての恢復」を望んでいのかも知れないと高山さんはしめくくった。痛ましくも、外なる自然と内なる自然とが繋がっていることに気づかされるお話しだった。
 午後に入り、鹿の骨に花を掘る彫刻家、橋本雅也さんは、鹿のことをもっとよく知るために鹿狩りに同行するが、あるとき子を宿した鹿を殺したときに「頭のなかがまっくらになった」と語る。「骨を削っていくと、骨が光をはらむ瞬間がある」という言葉がこのうえなく美しかった。アートがいのちを宿す瞬間。サバイバル登山家の服部文祥のお話しを聴きながら、かつてじぶんが大学時代ワンダーフォーゲル部でやった藪こぎ山行を思い出した。ぼくにとって「自然」を考えるとき、毎年の夏、泥だらけになって1週間以上も道のない山を歩き続けたあの経験が核になっている。鹿を撃ちながら自分も撃たれる境遇にあることに気づいたという服部さんの言葉の緊張感が伝わって来る。次に登壇された纐纈あや監督の『ある精肉店のはなし』はまだ見ていない。今日からポレポレ東中野で始まった。ぜひ行かなければ。屠場にみなぎる「熱気」。捌くものと捌かれるものの両方が発散する、いのちの熱。古川日出男さんはここ中野キャンパスの土地の記憶を掘り起こした。江戸時代、五代将軍綱吉の「生類憐みの令」によって、この場所には夥しい数の犬たちが保護されていたという。綱吉の死後犬たちはどうなったのか。宮澤賢治の「やまなし」の「魚はこわいところへいった」という台詞にはっと身をすくめた。小さなカニの兄弟はすでに死の場所を感じ取っている。経済システムのそとに死体はあるのだろうか...。カメルーンの東部州ディマゴ集落で長年にわたってピグミー系狩猟採集民バカ族の調査をおこなってきた映像人類学者の分藤大翼さんは貴重な映像を見せて下さった。かつて狩猟採集民だったバカ族は1950年代からの政府による定住政策によって農耕を取り入れるようになったそうだ。半世紀のあいだに人々の生活はずいぶん変化したのだろう。「jo joko(おいしい食べ物)」(2012)と題された映像作品はとても興味深かった。人々が狩りの獲物の肉を分かち合って、動物のいのちが人をつなげる姿。最後の文化人類学者の山口未花子さんの「動物である私」というお話しは新鮮だった。動物好きが高じて動物についての学問の道に進んだが、動物生態学への違和感から人類学に転じて、人間を介在する視点から動物にアプローチするようになったという。研究対象のカナダ先住民カスカの民はたくさんの種類の動物を採食する。ヘラジカの気管を木の枝に吊るすとそこにspiritが宿り風が吹くとヘラジカのいのちがふたたびよみがえるのだそうだ。人と動物の互恵性について山口さんは語った。人間は動物の一部なのだ。
 「動物のいのち」シンポジウムの議論の多くは、動物を殺して人が食べる、という行動に焦点があてられていた。そして、人間と「野生」のインターフェースが出現していた。(「野生」とは何か?) それにしても、人と動物の違いはなんだろう。宗教の有無か? 動物宗教学という学問はあるのだろうか? 動物のいのちは問題となるが、植物のいのちは問題となるのか? ...
 打ち上げでは講演を聴き逃した写真家の赤阪友昭さんから、アラスカで熊を撮るお話しが聴けた。厳冬期のキャンプでは氷点下50度(!)に下がり、テントのなかでもコンロを止めて息を吸おうとすると肺がキュッと締め付けられるという。小説家の木村友祐さんともお話しができた。帰宅してから『聖地Cs』をさっそく注文した。