ズビャギンツェフ『父、帰る』

久々のWC研。ロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督のデビュー作『父、帰る』(2003年)を観る。ロシア辺境の地、フィンランド国境のラドガ湖とその周囲の荒野の風景のなかに引き込まれる。日曜日から土曜日という7日間のストーリー設定がキリスト磔刑への道行きを想起させるフレームとなり、理不尽な暴力的態度で二人の息子に接する父(?)の行動がひとつの黙示録として展開する。伏線となるイメージを無駄なく連鎖させつつ、オープンな余白のようなカットを差し挟んで時間と空間を緩やかに広げる映像文法は完璧であり、「不在の父」のテーマは、現代社会批評の射程を備えている。だがしかし息子をもつ父親であれば、このフィルムを冷静に見ていられるはずがなかろう。映画全体を覆う重苦しい抑圧の雲のなかから閃光のように浮上する二か所の「取り乱し」に心が締め付けられる。ひとつは塔から飛び降りようとするイワンを追う父の表情。もうひとつは沈みゆく舟に向かって「パパ」と呼ぶ子供たちの姿。後者の子供たちの反応は意外だった。子供たちが渇望する父の不在はこのシーンに強烈に刻印されていた。
あっという間の111分。次はソクーロフを何か観よう。(管さんのタルコフスキー論もいただいた。読みながら、次の詩集『地形と気象』がまちがいなくすばらしいであろうことを予感する。)重厚なロシア文学を読んだような充実感に浸りながらみんなでいつものバーでアイリッシュ・エールを飲んで帰る。