言葉の翼に乗って――ホメロス『オデュッセイア』(上)

イリアス』のあとは『オデュッセイア』に移る。テキストはこちらも松平千秋訳の岩波文庫。『イリアス』との語り口の差異は一目瞭然。奇想天外なエピソードにあふれていて、僕にとっては『イリアス』より面白い。ホメロスは一人ではないという説も十分にうなずける。『オデュッセイア』を読むのは3回目。最初はたしか呉茂一訳、そのあと松平千秋訳で2回。最初に読もうと思ったのは、1990年代に『風の谷のナウシカ』を読んだときだった。だが第6歌でパイエケス人の王女として登場するナウシカアはアニメージュ版の気高き族長の娘とはずいぶん趣を異にしていた。ホメロスナウシカアは裸同然の姿で目の前に現れたオデュッセイアに一目ぼれ。その出会いの場面はあまり品がよいと言えず、宮崎駿による人物造形との落差に戸惑ったことを記憶している。また、期待していたトロイの木馬のエピソードが第4歌(97頁)と第8歌(212頁)にわずかに語られているだけというのも、いささか物足りなかった。

トロイア戦争のあと故国イタケへの帰途、嵐に見舞われて漂流の身となったオデュッセウスの超自然的冒険譚の前半には3人の艶女が登場する。ナウシカアを艶女と形容するのはちょっと当たらないかもしれないが、あとの二人はカリュプソとキルケ。美貌の仙女カリュプソは漂流中のオデュッセウスを自らの洞窟に幽閉する。しかしゼウスの意向を汲んで彼女はオデュッセウスのために筏を組んで出発させる。キュクロプス族やライストリュゴネス族といった蛮族との遭遇で部下を失ったあと流れ着くのが魔女キルケの館である。そこでオデュッセウスは自分を豚に変えようとするキルケの策略をかわして魔女をねじ伏せる。『オデュッセイア』には『イリアス』とは打って変わってエンターテイメント的要素があふれている。

上巻で興味深かったのが、パイエケス人の王アルキノオスの宴会に楽人デモドコスが呼ばれるこの一節。「詩神ムーサはこの楽人をこよなく愛し、善きことと悪しきこととを合わせて与えた。すなわち、その両眼の明を奪った代わりに、甘美な歌を与えた」(第8歌、191頁)。デモドコスは「玲瓏の響きを発する竪琴」を使いながらトロイア戦役を語るのだが、彼の視力は奪われている。口承詩人はしばしば盲目である。日本の琵琶法師然り。アメリカ合衆国で生まれたブルーズの歌い手然り(ブラインド・ウィリー・マクテル、ブラインド・レモン・ジェファスン、ブラインド・ブレイク…)。