ソフトボールと島原半島と中上健次

今年のインターハイ大村市開催ということで初めて長崎に飛んだ。初戦は突破できるのではとの予想もあったが、島根の高校に無念の完敗。この経験がチームとUにとって大きな糧とならんことを願う。それにしても暑かった。37℃のグランドで審判が熱中症になるなど、地球温暖化のなかでの安全な運営を考えると、真夏の大規模大会は北海道あたりでないと、なかなか難しくなるのではなかろうか。工夫が必要だと感じる。

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ソフトボール応援の翌日、車を借りて島原半島に向かった。仁田峠からロープウェイで妙見岳の肩まで上がり、雲仙普賢岳を眺める。200年の眠りから覚めて1991年から5年間噴火を続けた雲仙山頂に形成された溶岩ドームは、すでに植物に覆われ始めている。大いなる自然のリズムよ。登山制限が解除されたらぜひ山頂に立ってみたいものだ。マルティニクのロゴのついたTシャツを着ている僕に気づいたフランス人ハイカー・グループと二言三言会話を交わす。島原市街に下り、具雑煮を食い、諫早湾へ向かう。諫早湾干拓堤防道路のなかほどにあるパーキングに駐車してドアを開けた途端、ウンカの大群に襲われる。淡水化された堤防内側の調整池はまさに「泥海」。腐臭がする。干拓率は当初の計画に遠く及ばない。雲仙の噴火が収まった1997年に海を閉ざした防潮堤に立って、人の愚行を想う。

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思案橋に宿を取ったが、長崎市内では古いものにたくさん出会った。夕刻に乗った路面電車は1951年製だった。夕闇に包まれるころ、レールの継ぎ目が立てる鈍い音のリズムを聴きながらブレーキを軋ませ重たげに走る電車に揺られていると、自分が生まれる前の時間に連れ戻される気がする。偶然見つけた喫茶店「富士男」はなんと1946年開業でずっとその場所で営業を続けている。遠藤周作の『砂の城』にも登場するのだそうだ。モーニングのホット・サンドセットはコーヒーにゆで卵にサラダやフルーツが添えられて830円。旨かった。大浦天主堂は日本最古の教会堂。充実した展示やビデオによって隠れキリシタンの歴史を辿る。小さな集落に散り、マリア観音をこしらえてオラショを唱えながら指導者なしに200年の信仰を維持し、1864年に竣工した天主堂に来て自らの信仰を初めて告白した人々の存在に圧倒される。禁教令が解かれてなおカトリックに戻らず、自らの秘教的信仰を維持した人々がいたことにも。小島が点在し地形が入り組む長崎という土地だからこそ可能な潜伏だったのだろう。長崎はすごい場所だった。歴史と季節のくに。また来よう。そして島嶼やあちこちの浦を訪ねよう。

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旅のあいだ中上健次を読む。8月の輪読会が『異族』なので毎日30頁がこの夏休みの日課。中上の小説を読むのはこれが初めてだ。グリッサンを読み始めた90年代後半、紀州サーガを読もう読もうと思ってそのままになっていた。中上健次を知ったのは1979年の評論集『破壊せよとアイラ―は言った』。高校時代、森有正に心酔していた僕は大学1年生のとき「森有正の経験なんて反吐が出る」の一節に出くわして、うわっこれは無理だー、と思った。今回読み直してみるとすごく刺激的。グリッサンやフォークナーの読書がぼくを鍛えたのだ。放浪期の中上健次が体験したジャズは60年代フリージャズの熱気そのもの。同じジャズといっても例えば国分寺でジャズ喫茶を開いていた村上春樹は50年代ウェストコースト。そして小沼純一さんのすばらしい最新刊『リフレクションズ』は僕が共振した70年代に多様化するジャズ。さまざまな書き手はジャズにさまざまなアプローチを繰り広げる。そこにジャズという即興音楽の懐の深さがある。この辺は改めてまた。