渋谷で妻と寿司を食べて20時よりユーロスペース。楽しみにしていたVataを観る。「楽器は箱、その中には記憶がある」というキャッチがいい。まさにその通りだと思う。身体=楽器(マダガスカル語で両方ともvata)であり、生きることとはまさにvataを演奏することなのだ。マダガスカル南部の農村地帯ですべて現地キャストによって撮られたという本作は、出稼ぎ先で亡くなった少女の遺骨を引き取りに行く村人たちの徒歩の旅を描く。遺骨を持って村に帰る途中の夜、旅人たちのキャンプのもとに亡くなった少女たちの霊が現れ、霊たちとの歌と踊りの交感が始まる。カシャキが繰り出すリズムに乗ってゆったりとしたグルーブがあらわれる。ルカンガと呼ばれる擦弦楽器やマンドリン、マルバニと呼ばれるギターやハープのような撥弦楽器が使われる(ちょっとアイヌのトンコリを思い出す)。アフリカ大陸にもコラという弦楽器はあるが、メロディは木琴系の楽器が担当することが多いので、こうした弦楽器の合奏は興味深い。大陸から来たバントゥー系の人々とアウトリガー・カヌーで海を渡ってきたマレー・ポリネシア系の人々が交わるマダガスカルという土地の独特な音楽をたっぷり味わう。ルカンガを演奏し歌うタバコ売り役のレマニンジがすばらしい。米を主食とする食文化やキリスト教と土地の宗教とのシンクレティズムなど、マダガスカルの人々の日常生活を垣間見た。本作の魅力は、そうした民衆の生活が単なるドキュメンタリーではなく詩として提示されているところであろう。マダガスカルの詩学といってもよい、説話的なファンタジーとして土地の文化に僕らは触れる。マダガスカルに行ってみたいなあ。お盆に見るのにうってつけの作品でした。『ギター・マダガスカル』も観よう。