テレジン収容所の児童画展

宮地楽器ホール地下1階市民ギャラリーにて、妻とテレジン収容所の子供たちが描いた絵画展を見る。テレジンチェコの1万5千人のユダヤ人の子供たちが収容されたアウシュビッツへの中継所である。見ているうちに辛くて胸が苦しくなった。子供たちが描いたのは蝶々、遊園地、アイスクリーム屋さん。生きる希望があったから楽しいことを想像した。それから小さな虫。まわりの生き物はそれしかないから。テレジンに収容され、子供たちに絵を教えたフリードル・ディッカー先生は、だから、咲き誇る花を子供たちのために描いた。10才から15才の子供たちのほとんどはフリードル先生ともども、ガス室で短い人生を終えた。
テレジン収容所が解放されたあと、ビリー・グロアは子供たちの絵と詩の原稿を発見する。1989年にプラハでそれらの作品に出会った野村路子さんによって、幼い画家たちの絵は日本に渡り、小学校の国語の教科書にも掲載された。
ホロコーストは、サバイバーの語りやこうした作品によってそれを体験しなかった人々に伝えられる。統計や事実報告書のうちにホロコーストの「記憶」はない。語り部や芸術があってはじめて、ホロコーストは記憶として生成される。昨日の研究会で議論されたルワンダ虐殺の悲劇は、いまだ表象されていない。だからこそ、ガエル・ファイユの『ちいさな国で』のような仕事が大切なのだと思う。