『島の水、島の火』

管啓次郎の待望の第2詩集である。自然のエレメントへのまなざし。いや、求められるのはただ観るだけではなくそれを体感すること。そこから「詩」ははじまるのだから。「私の詩は私をつらぬく地、水、火、風の残響」(p.85)。地水火風の流動とともに震動する身体が紡ぎ出すエクリチュール。整然と繰り出される詩行の歩行はときとして鋭く詰問される、たとえばXXXの「鏡の裏側に住む少年」から。だがその歩行はたじろぐことなく人間を自然との連続体として捉えるために続く。「私たちの目が光の受容器なら/すべての木の葉は目」(p.26)。人がいなくなった町を、町がいなくなった荒野を自主的にパトロールする犬がめざすものは生命の連絡である。そこに光が差す。「さあ、やりなおそう、この強い水に足を濡らしてよろこびこそ生命における最大の批評なのだから」(p.36)。力強い歩行のリズムは新しい風景を切り拓きつつある。それに気づくべきときだ。