en vélo

 右足にふつうの靴、左足に折れた小指に力が入らないように工夫された高さ4センチほどの下駄のようなサンダルを履いてのろのろ、ぎくしゃく歩く日々。自由に歩行できるありがたさを思い知らされる。それで自転車に乗ることが多くなった。ペダル漕ぎは足の指に負担がかからないので具合がいい。風を切る爽快さ。歩行とも自動車ともちがう移動のスピードと身体操作は見慣れた風景を新鮮なものにする。とくに休日の朝食前の一走りが気持良い。まだ空気がひんやりしているうちに自宅を出て神田川沿いを走り、巨大な仏教系の宗教施設の広々とした構内を横断して帰って来るのが定番の走行ルートになった。
 一週間ほど前だったか、そんな朝の散歩のあいだに思いがけないものに出会った。いつものように神田川善福寺川の合流点で自転車を止めて水の流れをぼんやり眺めていたときだった。ここは僕が気に入っている場所だ。川がひとつになる場所には、それがコンクリートで哀れに囲い尽くされたものであっても、ドラマがある。滑らかなコンクリートの河床を無言でおとなしく進んできた水流は、このY字地点でぶつかり、にぎやかにざわめき、小さな渦をまく。都市の人工のなかに封じ込められない自然のエネルギーがささやかに露出する風景である。その水音に耳を傾け、渦を見つめていたとき、Y字の左腕にあたる神田川の水際に何か動くものを見つけた。四足のそいつはこっちに向かって歩いて来る。体つきからみて猫ではないし犬の顔つきでもない。痩せた黒っぽい動物はどんどん近づいて来る。そのうちこちらがじっと見ていることに気づいたのか、合流点近くまで来るとセイタカアワダチソウの茂みに隠れてこちらの様子をうかがっている。そのとき了解した、こいつは狸だ。狸にちがいない。いやおどろいた。川の向こうは地下鉄車庫、あたりはアスファルトに覆われた道路と住宅地ばかりで緑の空き地など見当たらない。いったいどこに住んでいるのだろう。しばらくにらめっこしたあとで、やせっぽちのそいつはもと来た道をとことこと引き返していった。朝日を浴びて輝く背中が視界から消えるのを見届けて、僕も川を離れた。しかしやつは本当に狸だったのだろうか。