ポスト印象派展

 前々から仕事が早く引けるこの日に行こうと思っていた。ところが集中豪雨の夕方、池尻大橋のドトールでソファーに腰を下ろしたら動けなくなった。いかん、余りにも疲労がたまっている...。アイスコーヒーにデニッシュを頬張り、どうしようか迷ったがよいしょと気合を入れて六本木へ。びしょ濡れになって新国立美術館に何とか辿りつく。でも色彩溢れるフランス近代絵画の傑作を見ているうちに疲れがふっとんだ。ああ、来てよかったな。オルセーには何度も足を運んだが、見たことのある絵たちがずいぶん新鮮にみえる。まことに造形芸術は「箱」で印象が変わるものだ。
 セザンヌの『シャトー=ノワールの森の岩』。絵画が抽象へと向かおうとするスリリングな瞬間。ゴッホの『寝室』や『星降る夜』の鮮烈な色遣い。ポン=タヴェン派にみる日常のなかの神秘。特にポール・セリュジエの『柵』。ああ、ブルターニュに行きたいなあ。モーリス・ドニなどナビ派もいいね。『木々の中の行列』。高校生のころ国立西洋美術館で何度もその前に立ち止まり夢想に耽ったシャヴァンヌの『貧しき漁夫』のでかいバージョンもあった。あの漁夫は妻を失くして悲しみに暮れているのだそうだ。初めてストーリーを知った。でも誰もが自分のストーリーを作りだすもの、素人の観賞とはそういうものだ。ルドンの『キャリバンの眠り』、あのキャリバンだ。顔に羽の生えたルドンの天使(妖精?)は実にかわいい。フェリックス・ヴァロットンの円卓に落ちる光の何とポップなこと! クノップフの『マリー・モノン』の端正な顔立ちと完璧な構図。
 115点の展示のなかで圧倒的なのは、やはりルソーの『蛇使いの女』であった。一度も熱帯の島へ行ったことのない税官吏が写真と空想だけで描いたその絵がわれわれを今なお捉えるという事実は、われわれにとってイメージがいかに重要であるかを示している。その画面は陳腐なエキゾチズムでは片付かないエネルギーを放射している。
 それにしてもひとつだけ不可解なことがあった。パネル解説やあいさつ文の原文が何故フランス語ではなく英語なのだろうか?