Keith Jarrett / The Köln Concert

  年に数回しかない一人の静かな夜、アンプを温め、シャワーを浴びて、ゼンハイザーのヘッドフォンで『ケルン・コンサート』のLPを実に久しぶりに聴き通す。1975年1月24日のライブ録音。キース・ジャレットが到達したまぎれもない高みの記録である。26分にわたるpart1の前半は奇蹟的な即興音楽である。次から次へとあふれ出るメロディ。それを支えるリズムの生命力。大河のような圧倒的な流れに押し流されていく。純粋即興といっても、それは譜面に整理されない段階のアイディアの自由な展開であり、そのアイディアはクリシェをともなってインプロヴァイザーのなかに蓄積されていることは間違いないだろう。アンコール・ピースにあたるPart2cを聴くと、それがあのPart1の前半部のエッセンスが圧縮されたものであることに気付く。あるいはPart1はPart2cのアイディアを長大に展開した結果だったのかもしれない。
  それにしても、現在のジャズ・ピアニストの最高峰の一人であるキース・ジャレットはもともとジャスの4ビートから遠いリズム感覚の持ち主であった。彼にとって本来的なリズム定型はブギウギであり、ラグタイムであろう。『ケルン』に4ビートのノリは皆無であり、定速リズムになる部分は大方8ビートで、ゴスペルやファンクの臭いが濃厚である。彼はロック系のピアニストだったのだ。(オーネット・コールマンの絶大な影響は今は触れないでおく。)だからアート・ブレイキーとの『バターコーン・レディ』などでの初期の4ビート・プレイは何となくピョコピョコしたノリで不思議なのだ。彼が本腰で4ビートの世界を開拓するのは80年代になってから。つまり言うまでもなくゲイリー・ピーコックジャック・デジョネットとのトリオ活動を常態化してからである。このピアニストは長い時間かけて「ジャズ・ピアニスト」になったのだ。
  だが、キース・ジャレットの音楽にとって「ジャズ」は一部分でしかない。民族音楽からクラシックの技法まで、キース・ミュージックは世界のありとあらゆる音楽のエッセンスを取り込んでいる。そんな「関係性の音楽」において注目すべき点は、彼のパフォーマンスが音楽というよりむしろ呪術的儀式に近い要素を多分に内包しているところにあると僕は思っている。そのような彼の音楽へのアプローチは、われわれに「ジャズ」というよりも「即興」を通じて音楽の根源を問うている。即興の詩学への扉をキース・ジャレットは開いたのだ。