マイルス・デイヴィスのほうへ(6)マイルス1972-1975 Ⅰ 

キース・ジャレット退団のあとライブ活動を停止し、半年ほど沈黙したマイルス・デイヴィスは1972年7月にスタジオに入り、On The Cornerを発表する。それはテープ編集によるルーピングを駆使してドラム&ベースのリズム・トラックが生み出すグルーヴを前面に打ち出した、それまでのマイルス・バンドとは異次元の衝撃的な音楽であった。インプロヴィゼーションからグルーヴへと重点を移したその音楽が当時ダウン・ビート誌から酷評されたのは当然であろう。あきらかに「非ジャズ」なのだから。その音楽空間には、もはやキース・ジャレットのような卓越した即興主体は必要ない。このアルバム以降、マイルスはバンドのグルーブを統括する指揮官となってゆく。ボブ・ベルデンによれば、トーナリティではなくサウンド・カラーリングを重視するその音楽づくりには、レコーディングに参加したイギリスの作編曲家ポール・バックマスターのコンセプトが大きく影響しているというが、この頃マイルスはスライ・ストーンジェームス・ブラウンなどのファンクに傾倒する一方で、シュトックハウゼンを聴いていた。ヨーロッパ前衛の電子音楽の影響はマイルスのオルガン使用にあらわれていると言えようか。マイルスの引退期に発売されたスタジオ録音集Get Up With Itに収録された1972年9月録音のRated Xにはそうした実験的試行が記録されている。デイヴ・リーブマンはクセナキスルトスワフスキとの親近性を指摘するが、ぼくはこのトラックを聴くたびにリゲティクラスターを思い浮かべる。マイルスはライブでもステージ上にオルガンを置き、自ら弾きながらグループの音楽のうねりに方向性やキューを与えるようになる。

アルバムOn The Cornerの各曲を見渡してみよう。強烈なファースト・トラック、On the cornerのあとの3曲は同じリズム・トラックとメロディー・モチーフを持つ異なるバージョンである。Black Satinの鈴とハンド・クラッピングが印象的である。だがもっとも強烈なのはOn the cornerの18分ほど以降の部分である。タブラやエレクトリック・シタールといったインド的な楽器を使っていながら、そこには疑似的なサブ・サハラのアフリカが出現する。音楽学者でミュージシャンのジャン・リュック・タンビーJean-Luc Tambyはマイルス・デイビスの音楽を「空間への欲望」desire for spaceと捉え、それをエドゥアール・グリッサンの〈全‐世界〉の詩学と比較しているが、On the cornerの18分以降にはまさにそうした特徴があらわれているように思える。シタールの音色やタブラの物憂いドローンを聴くと、夜の帳に包まれるサブ・サハラの集落が目に浮かんでくる。空間性こそマイルスとグリッサンを切り結ぶ特徴だとタンビーは論じているが、こうした「アフリカ空間」は、ライブではIfeによくあらわれている。ムトゥーメのコンガがそこで大きな役割を担っている。