マイルス・デイヴィスのほうへ(2)キース・ジャレットがいた風景Ⅱ

マイケル・ヘンダーソンが飽くことなく刻み続けるベース・ラインは、マイルスが提示する「曲」の枠組みである。しかしその土台の上にキース・ジャレットは、まったく新しい創造といってもいいほどの独創的なインプロヴィゼーションを展開する。「いいか、キースにはついていくな」マイケル・ヘンダーソンはマイルスからいつもそう言われていた。マイケルはボスの指示を忠実に守るが、ときとしてキースが生み出す強烈なグルーブに抗うことができず、ジャック・デジョネットの後釜に座ったンドゥク・チャンクラーとともにじわじわとキース・ジャレットの世界へと引きずり込まれる。聴き手にとってそれはバンドが乗っ取られるようなスリリングな瞬間であり、マイルス・デイヴィス・バンドはキース・ジャレット・バンドに変貌する。

たとえば1971年秋の怒涛のヨーロッパ・ツアーのなかでもとりわけすばらしい10月22日のスイス、ディーティコンでのパフォーマンスを聴こう。ファースト・セットのWhat I Sayのベース・ライン上でキースが提示するのは、ファンク、ゴスペル・ロック、カントリーがミックスしたキース特有のダウン・トゥー・アースなフィーリングであり、そのテイストはマイルス・ミュージックの枠を逸脱する。It's About That Timeではマイケル・ヘンダーソンはキースのフレーズに敏感に反応し自由に動く。こんなに自由に動けるんだと思うほど自由に動く。Funky Tonkで示される2台のキーボードの表現力を極限まで発揮した夢幻的で宝石のような音楽の豊かさの前には、必死にイニシアチブを奪回せんとそこに食い込むマイルスのワウワウ・トランペットのソロが時としてなんと一本調子で平凡に聞こえることか。

だがキース・ジャレットの暴動によってマイルス・バンドが崩壊するわけではまったくない。たとえば11月6日のベルリンや11月16日のトリノでの速度を落としたFunky TonkやHonky Tonkにおけるキースとマイルスのインタープレイがどれほど繊細で交感に満ちたものであることか。(トリノでは4ビートのフリーバップさえ現れる。トリノは実に自由だ!)

10月22日のディーティコンのセカンド・セットはこのヨーロッパ・ツアーのベスト・ステージのひとつだろう。減速後のDirectionsに展開するキースのタイトなファンク。ゲイリー・バーツもいかにもそれらしいファンキーなフレーズを繰り出すのだが、そこに楔形の閃光のようにキリキリと切り込むマイルスは決して「ファンキー」なフレーズは吹かない。「マイルスは単なるファンク・バンドを欲しがったわけじゃない。彼がほしかったのはいろいろなものになれるバンドだった」とキースは振り返る。そのキースはヨーロッパ・ツアー終了後、おそらく11月26日のNYの演奏を最後にマイルスの許を去る。しかし電気楽器と決別した彼はマイルス・バンドで展開した音楽を葬り去ったのではなかった。アコースティック・ピアノ1台で、コンサート・ホールのなかでその音楽的エッセンスを発展的に継続し、大河のソロ・インプロヴィゼーションを確立したのだった。