マイルス・デイヴィスのほうへ(4)チック・コリアという繊細さ Ⅱ

そして1969年8月、ついにBitches Brewが制作される。Pharaoh's DanceとBitches Brewはテオ・マセロとマイルスによる入念なテープ編集の見事な成果である。「ビッチェズ・ブリュー」はライブでも演奏されたが、チック・コリアとジョー・ザビヌルのダブル・キーボードにベニー・モウピンの不気味なバス・クラリネットが絡みつく緻密なスタジオ録音のバージョンにこそ、禍々しくグロテスクな臭気を発散するこの曲の至高の姿があるように思われる。ぼくが好きなのはSpanish key。E altered(E, G♯, A♯, B, C♯, D)の上行音型のモチーフから出発し、いくつかのモードにシフトしつつ、チック・コリアの「キメ」のフレーズを合図にG mixolydianに突入した途端に雲ひとつない夏空の解放感が広がる。昔買ったレコードに入っていた新盤広告に「マイルス、ハービー、ウェザー。フュージョンはここから始まった。」というコピーがあったが、この時期の電化マイルス・バンドが口当たりのよいだけの「フュージョン・バンド」の元祖であるはずがない。だがしかし、このG mixo. の部分だけは例外だね。

 1969年になると、マイルス・デイビス・バンドはキーボードがチック・コリア、ドラムスがトニー・ウィリアムスからジャック・デジョネットに、ベースがロン・カーターからデイヴ・ホランドに代わり、ジャズからロックまで自由に行き来できるリズム隊でライブに臨むようになる。デイブ・ホランドダブルベースエレキベースも弾きこなすし、デジョネットは4ビートもロックのリズムも無理なく自然に叩く。チック・コリアは曲の輪郭を縁取り次の曲のキューを出すコントロール・タワーの役割を果たした。(ちなみにキース・ジャレットはこうした音楽の構造を支える仕事には余り関心がない。)だがなぜか、マイルスバンド史上最もフレキシブルなこのバンドの正規盤がCBSから出なかった。ゆえに「ロスト・クインテット」と呼ばれる。だから2013年にSony Legacyから3CD+1DVDのLive in Europeが出たときの衝撃は大きかった。このセットを何度聴いたことか。Bitches Brew前後の4回のヨーロッパ・ツアー(7月のアンティーブ、11月のストックホルム、ベルリン)の記録だが、この頃にすでに数曲を切れ目なく演奏するスタイルが確立されていた。スターターはDirectionsかBitches Brewジミ・ヘンドリクスのVoodoo ChileにインスパイアされたMiles Runs The Voodoo Downがクール! 7月25日のアンティーブではなんとMilestonesが演奏されている。 面白いのが11月5日のストックホルム。冒頭のBitches Brewでチックのフェンダー・ローズが故障。即座にアコースティック・ピアノで続きを弾く。おそらくマイルス・バンドでアコースティック・ピアノが使われた最後のステージではないだろうか。もうひとつの驚きは、このコンサートの後半でなんとチックのThisが演奏されたことだ。アコースティック・ピアノしか使えない状況が生んだハプニングだろうか。ともあれマイルス・デイビスが純粋な「フリー・ジャズ」をやった数少ない例だろう。