Jaques Coursil /Trails Of Tears

 ちょっと前に買って聞き流していたジャック・クルシルの新盤『涙の道』(2010)をじっくり聴き直しながら今福龍太「ジェロニモたちの方舟」(『すばる』6月号)を読む。そして多くを学ぶ。ジョン・ゾーンの勧めでジャズ・シーンに復帰した第1作がMinimal Brass(2005)であることを知り、さっそくAmazonで注文。復帰2作が名盤Clameurs(2007)、そして本作が3作目となる。Clameursに明らかなように、クルシルのパフォーマンスはグリッサンのTout-mondeの詩学の音楽的展開といっても過言ではないほどその思想に寄り添っている。7つのトラックで構成された本作は前作のように声を使用せず純粋なインストゥルメンタルだが、序曲的な1曲目に続く2曲が1830年代のチェロキー・インディアンの強制移住に関するタイトル(Tagaloo, Tahlequah)を持つ。最後の2曲が黒人奴隷貿易に関するタイトルを持つ(Goree,The Middle Passage)。そして中間部にThe Removal(強制移住)と題されたふたつのトラックが配置され、インディアンと黒人の苦難の軌跡trailsを結びつける。まさに、時空の制限をはずしてさまざな苦難のトポスを接続し、世界を新しい相で捉えようとするグリッサンのブルージー詩学的眼差しだ。
 音楽的に面白く思ったのは、多くのトラックでキーボードとアレンジを担当するJeff Baillardの存在の大きさである。特に前作Clameursで聴かれたたゆたう海のようなシンセサイザーの音使いは本作にも随所にあらわれ、The Removalの2つのトラック以外の基本的な曲調を設定する。それはまるで語り部が登場する舞台を整えるかのようだ。そこにクルシルのトランペットが執拗にタンギングを繰り返して細かく震えるラインを刻む。ところでグリッサンの評論集『ラマンタンの入江』(2005)には「震動の思考」というタームが繰り返し現れる。それは、さまざまな場所から震えるように断続的に紡ぎ出される文化の軌跡の様相を言い当てたものだが、クルシルのラインもまさにひとつの震動の思考として、インディアンと黒人の軌跡を音楽で語り結ぶ。
 中間のふたつのThe RemovalにはBaillardは参加しない。そこで音楽の色合いはがらりと変わり、60年代後半のフリー・ジャズのアグレッシブな熱を帯び、カオスが出現する。特にアルトサックスとクラリネットの3管フロントでサニー・マレイがドラムをたたくひとつ目が壮絶である。
 書きだしたら止まらなくなったが、パリ在住の中村さんが、5月にクルシルのパフォーマンスをレポートしていたのを思い出した。

 http://mangrove-manglier.blogspot.com/2011/05/2011.html

ネットで調べたら難なくYoubTubeで発見。うーん、凄い。

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それからソローを再読せねばと思う。