未来へのアーカイブ

福島の原発事故の記憶がなぜこんなにあっという間に人々の記憶から消えてゆくのだろう。駒場で放送人の会と情報学環主催の「未来へのアーカイブ 原発事故・放射能汚染の過去/未来」という講演会を聴く。カタストロフィの報道における時間、社会の記憶、メディアといった大きな問題が取り上げられ、石田先生の理論的な俯瞰と問題提起にジャーナリズムの現場からのさまざまなアプローチが交錯して、とても刺激的で有益なひとときだった。倉澤治雄さんは原発事故直後のテレビ報道状況を詳しく分析された。メディアがリアルタイムとかかわるときの様相がそこに浮上した。一方桜井均さんは1986年のチェルノブイリから2011年の福島にいたるあいだに製作された放射線による健康被害をテーマとしたたくさんのドキュメンタリーを通じて、比較的長い時間を相手にするときのメディアのふるまいを提示された。そして、プレゼンと議論を通じて、じつは、メディアが見(なかっ)たものは何か、という問いよりも、膨大な記録情報がなぜ人々の記憶の支えとならないのか、という問いのほうが遥かに切実であるという問題提起が石田先生から提出された。未来に向けて社会の記憶をエラボレイトするために、アーカイブはどのように利用されるべきなのか? メディアはどのように社会記憶の形成に参与すべきなのか?
 それにしても、「チェルノブイリ」と「福島」の深刻さ、とくに廃炉のための途方もないコストの問題など、54基の原発をかかえる日本の絶望的状況をあらためて思い知らされた。未来に向かってのびる時間と環境を、われわれは責任をもって引き受け、想像しなければならない。みないふりはできないはずだ。参議院選はそのための選挙であるはずだ。