雑誌で読み解く20世紀―――共同討議『思想』3月号

3月は注目したい雑誌二点が刊行された。ひとつは昨年亡くなったブリュノ・ラトゥールを特集した『現代思想』3月号。もうひとつは『思想』3月号で、雑誌・文化・運動--第三世界からの挑戦--と題されている。今日は後者の執筆陣が登壇する講演会に、明治大学和泉キャンパスまで出かけた。『思想』3月号は非常に充実している。「第三世界」という手垢のついた用語を戦略的に用いて20世紀のアジア、アフリカ、日本やイスラエルといった地域でつくられた雑誌を丁寧に辿る作業は斬新で発見に満ちている。その作業は、雑誌が紛れもなく文学・歴史学社会学といった人文系の研究の新しい研究対象であり方法であることに気づかされる。雑誌という歴史の消えかかった踏み跡の束を辿るにつれて、そこから放たれる民衆の声は時代を俯瞰する知識人の考察と共振やコントラストを示しながら時代の息遣いをわれわれに与えてくれるだけでなく、その時代に対する認識を深め、ときにわれわれの歴史に対する粗雑なパースペクティヴを刷新するだろう。『思想』の論文を読んで気づかされたのが、各地域で発行され、その土地固有の状況に立ち向かう雑誌が、他の地域の問題を参照し共有しているという事実である。今日の共同討議第一部の議論のテーマは「雑誌の越境的想像力」。そこに「普遍」という言葉はおよそ似つかわしくない。いわば雑誌というモナドが共振する様子をわれわれはそこに確認するのだ。その確認はかなり新鮮であった。

「雑誌」という文章=人の集積体を追跡する作業で見えてくるのは「編集」の重み。雑誌は単なるSNSのネットワークとは異なっている。そこには編集者と執筆者によって構成される磁場がある。その磁場はひとつのポイエーシスであり、既成概念の中で泳いでいるわれわれの想像力の貧困に反省を迫る力を帯びている。今宵は雑誌研究のポテンシャルの大きさを実感した共同討議であった。『思想』の論文をすべて読み終えたらあらためて報告したい。