管啓次郎『狂句集』(左右社)

風の強い小学校のグランドで息子のソフトボールの練習を見ながら読了。面白かった。読んでいるあいだに校庭の大木の大枝が折れて落ちてきた。

 

明解な満月狂気の鏡をひとつ割り

(シュール。)

らっこの毛皮がボディ無きまま踊ってゐる

アルトーかしら。)

「未開」といふが開けていいことあったのか

(ほんとですね。)

再起せよ世界はきみを待っているかも

(わはは。)

あいうえお順にならぶことばのインプロヴィゼーション。軽やかで広く、ときに深い。

あとがきを読んでひらめいた。

ドーレ、ドーミ、ドーファ、ドーソ…二音の音程をモチーフに即興できるな。意味はあとからついてくるのだ。やってみようか。あ、まずピアノの練習か。

 

 

西荻の小さなカフェで辻瞼展を見て

勤め先の秋の祭りが終わり、木曜なのに休日である。車で多摩地区をぐるぐる走って図書館のはしご。翻訳のチェックで必要なクルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン中世』と新岩波哲学講座7をようやくゲット。その足で西荻のヨロコビtoカフェへ。「A little bit<lazy」辻瞼展を見る。キュクロプスかルドンの幻想画よろしき一つ目の女の子から凝視され、ぎくりとした。泣いている。苦しんでいる。ストレートな感情の表出。テクスト『天使のフン』を買って帰る。辻瞼の生んだ子供たちのことが書かれていた。とてもよい文章だ。文学が血となっている。飾りではない。「ジュネいいっすよ」といつか言われた言葉を思い出した。そのまんま、その先へ。

ボルタンスキー展にて

母親といっしょに国立新美術館に現れたUは不機嫌であった。夏休みがもうカウントダウンに入ったというのに宿題はなかなか終わない、それなのに突然父親の気まぐれで呼び出され、あの狭苦しい大江戸線に閉じ込められて六本木くんだりまで連れてこられたのだ。中学生ですか? あ、小6? 小学生は無料です、と告げる受付をぶすっとした表情のまますり抜けるようにして薄暗い展示会場に入ったUの足は、たちまちすくんだ。苦しそうにゲロを吐く音が聞こえてくる。どっちに行ったらいいのかわからない。父親から、この通路は生と死をつなぐ通路なんだよと聞かされて、ああなんかゲームみたいな感じね、となんとなくわかったような気がしたものの、やっぱり何だかわからない。短パンにクロックス、青いpumaのTシャツに黒い阪神帽をかぶった少年は、大人だらけの人ごみをかいくぐり、あっちこっちをふらふらと歩き回る。そのいかにも場違いな姿を会場内の係員はあきらかに不安そうな目で追っている。聖なる異空間に紛れ込んだ小さなエイリアンは、やがて心臓の鼓動が聞こえるブースに立ち止まり、じっとその音に耳を傾けた。しばらくすると「どんなのが好きなの?」と誰かに話しかけられた。振り向くと車椅子の女性がにこにこ微笑んでいる。「ぼくはこの心臓の音が面白いです。よく聴いていると、音が微妙に変わるから。あとはよくわかんないけど。」「そう、私はこの光が好き、」と女性は答えた。会場を出てピザを食べているとき、Uは父親にこの話をして、「おとうさんはどんなのがよかったの?」と尋ねた。父親は雪原に何本も棒が立っててひとつひとつの棒に小さな鈴がついてて風が吹くと一斉にそれが鳴る映像がよかったよと言うと、Uは「ふーん、でもあれって流れてくる音が変わんないよね」とつまらなそうに答えた。なるほど、ボルタンスキーが提示するおびただしい死と記憶の堆積のなかで、心音と明滅する光は命のメタファーなのだと父親はそのとき了解した。生のパルスは不安定に変化する。

              ★

会場の片隅に、ボルタンスキーがアニエス・ベーやH.ウルリッヒ・オブリストとともに1997年から刊行しているタブロイド版の冊子le point d'ironieの資料が展示されていた。ああ、そうだった、そのno.29がグリッサン特集号であることを思い出した。

中村隆之×管啓次郎×星埜守之 at Cafe Lavanderia

夕方、新宿三丁目へ。19時より『ダヴィッド・ジョップ詩集』、『第四世紀』出版記念のトーク、朗読、音楽の夕べ。中村さんが解説し、管さんが朗読し、星埜さん、管さんと出版社の方のギター演奏が加わるパフォーマンス。前半がジョップだが、その最後のセゼールに捧げられた「浮浪者ニグロ」が良かった。ああ、ダヴィッド、君は杵をつけたかい? ぼくらは君の声を聴いたよ。

後半がグリッサン。ついに、ついに管訳『第四世紀』が完成したのだった。グリッサンの呪術的テクストは見事に日本語に転写されたのだった。

「一人の黒人は一世紀だ」。~は1世紀だ、と言われるとき、そこにはストロングな時間が流れている。

音楽はテキストにぴたりと寄り添う。エフェクト豊かなギターと星埜さんのコラのような乾いたアコースティック・ギターの対比が効果的。管さんのギターの腕前を確認しました。

『第四世紀』の朗読は、アンヌによるリベルテ殺しの鬼気迫る場面もよかったが、何といっても、高揚感のあふれるあのエンディングの場面だ。フランス語のテクストと格闘していた頃を思い出した。

朗読と音楽のパフォーマンスを聴いていてふと思った。グリッサンの文学は「藪漕ぎ」なのだ。大学生の頃、ワンダーフォーゲル部に所属していたぼくは、夏合宿の山行で毎年1週間以上も道のない山を歩いた。その経験からぼくは自然のなかに入ることが何たるかを肌で理解した。その行為は生易しいものではなく、手頃な癒しでもない。グリッサンの文学は整備された都市空間を闊歩するものではない。道なき山を彷徨するような文学なのだ。

 

横浜にアフリカ絵本展を見に行く

短い夏休みの締めくくりに横浜に1泊して、夕べは中華街の景珍楼で夕食。今日はJICA横浜に村田はるせさん所蔵の「アフリカ絵本展」を見に行った。アフリカ文学者である村田さんが訳されたコートジボワールのヴェロニク・タジョの「アヤンダ」がとりわけ目を引いた。地元の子供たちが手に取る絵本、ということはタジョのこの作品はまさにアフリカ人の読者に届いているわけだ。絵本を通してアフリカを想像する。Uも興味をもったようでじっくり読んでいた。展示会は8月31日まで。横浜に行く人はぜひ! https://www.jica.go.jp/yokohama/event/2019/190824_1.html

酷暑の新宿、八雲 木版画展

昼すぎに自宅を出て中央線で新宿へ。ヒルトン東京ヒルトピア・アートスクエアで八雲 木版画展「ストーリーズピューパ」を観る。シックでかわいい作品がならび、いろいろな文学に寄り添えるようなしっかりしたファンタジーの表出があって、とてもよかった。「じたばたする亀」に思わず高校生のころの姿を思い出して噴き出した(すみません)。挿絵画家としても活動を始めているようですが、がんばってください。隣で開催されていた、山口健児展、モノクロで闇から浮上する広い光、ざらっとした木目の肌触り、「Shim」がすばらしかった。新宿駅へ戻り、ユニクロでTシャツを何枚か買って3時ごろ東口の電光掲示板を仰ぐと38℃であった。4時に喫茶店以文社のO氏と打ち合わせ。8月に入ってミシェル・セールを読み始めた。

フォークナー・メモ2

昨年は体調を崩し中止せざるを得なかった平湯キャンプだが、今年は8月5日から無事に3泊のテント暮らしを楽しむことができた。読書とハイキングと焚火と温泉。至福のひとときであった。フォークナーの 『町』(冨山房、フォークナー全集21、速川浩訳)をほぼ読了した。

スノープス第2巻『町』。相変わらずフォークナーは事実の直裁な報告をしないのだった。事実そのものよりも事実が人々に与える心理的波紋を書くことが作家の関心事であり、また、語りが複数化しそれぞれのアスペクトから断片的に遂行される結果、物語全体は不透明な迂回に満ち、そこに語られる事件の核心部の理解は、読者にとって常に遅延される。そうしたわかりにくい語りの束から、根気強い読者は、『村』に続く近代化の波のなかで変貌してゆく20世紀前半(1909~1927年頃か)の合衆国南部社会へと案内される。(『村』における重要な記号である「馬」は『町』では「自動車」にとって代わる。)

チャールズ・マリソン、ギャヴィン・スティーブンス、V.K.ラットリフという3人の語りの交替のうちに進行する物語には、フレンチマンズ・ベンドからジェファソンへ、村から町へ流れてきた、南部にとっての「よそ者」フレム・スノープスが銀行頭取へとのし上がる経緯が描かれる。妻ユーラ・スノープスの不義と私生児リンダ・スノープスの悲劇。

しかし物語の進行において、フレム、ユーラ、リンダがドミナントな語りの主導権を握ることはない。作品の終わり近くでようやく出現するユーラの声はそれゆえ切迫感に満ちている。

リンダの悲劇の核心部に、彼女を愛したギャヴィンは遅れて気づく。「彼女はうんざりしたんだ。彼女は愛した、愛し愛され、愛を与え受ける資格があった。彼女は二度まで試みて二度まで失敗した、その愛に値し、愛を自ら求め、匹敵できるばかりではなく、それを受け容れるだけの勇敢さのある誰かを見いだすのに失敗した。そうなのだ。」(p.288)

フォークナーの語りはつねに間接的である。事件をその発生と同時的に当事者の語りによって報告することがない。つねに遅れてくる語りは、その間接性と複数性によって、土地の語り、チャールズ・マリソンが言うように「ぼくたち=町」(p.275)の語りとなる。

ヨクナパトーファという息苦しい南部の架空の閉鎖空間を描くフォークナーの世界。だがそこには、かすかな逃走線が書き込まれている。『アブサロム…』において燃え落ちるサトペン邸から脱出する混血の障がい児ジム・ボンド。『町』においてグリニッジ・ビレッジへ旅立つ私生児リンダ。そうした外部に通じる逃走線に目を凝らしたい。

荒正人は解説でおもしろいことを述べている。フォークナーを第一次大戦後の前衛的作家と比べて限界を指摘して、「強いて特色をあげれば、ヨクナパトーファの設定だけである。それは余りに地方的である。地方的であることは少しもかまわぬが、普遍的要素の脱落した地方的文学は困りものである。いや、フォークナーは、地方的であることに留まる自信を失って、国民的ないし世界的になろうとして動揺した。その点が最も弱点である。」(p.319) フォークナーと共振して『フォークナー・ミシシッピ』を書いたグリッサンもまた、カリブ海についてのディスクールから独自の世界論へと向かっていった。荒のこの批評はグリッサンにもあてはまるかもしれないなとふと思う。とはいえぼくは、まだまだグリッサンの世界論とつき合うだろう。そこに見えてくる風景に関心があるからだ。ギャバンへの戒めのように、あまり期待しすぎることなく、ただ生き、行動すればよいのだ。

フォークナー・メモ1は2012年3月だった。次のフォークナー・メモはいつになることやら。