ボルタンスキー展にて

母親といっしょに国立新美術館に現れたUは不機嫌であった。夏休みがもうカウントダウンに入ったというのに宿題はなかなか終わない、それなのに突然父親の気まぐれで呼び出され、あの狭苦しい大江戸線に閉じ込められて六本木くんだりまで連れてこられたのだ。中学生ですか? あ、小6? 小学生は無料です、と告げる受付をぶすっとした表情のまますり抜けるようにして薄暗い展示会場に入ったUの足は、たちまちすくんだ。苦しそうにゲロを吐く音が聞こえてくる。どっちに行ったらいいのかわからない。父親から、この通路は生と死をつなぐ通路なんだよと聞かされて、ああなんかゲームみたいな感じね、となんとなくわかったような気がしたものの、やっぱり何だかわからない。短パンにクロックス、青いpumaのTシャツに黒い阪神帽をかぶった少年は、大人だらけの人ごみをかいくぐり、あっちこっちをふらふらと歩き回る。そのいかにも場違いな姿を会場内の係員はあきらかに不安そうな目で追っている。聖なる異空間に紛れ込んだ小さなエイリアンは、やがて心臓の鼓動が聞こえるブースに立ち止まり、じっとその音に耳を傾けた。しばらくすると「どんなのが好きなの?」と誰かに話しかけられた。振り向くと車椅子の女性がにこにこ微笑んでいる。「ぼくはこの心臓の音が面白いです。よく聴いていると、音が微妙に変わるから。あとはよくわかんないけど。」「そう、私はこの光が好き、」と女性は答えた。会場を出てピザを食べているとき、Uは父親にこの話をして、「おとうさんはどんなのがよかったの?」と尋ねた。父親は雪原に何本も棒が立っててひとつひとつの棒に小さな鈴がついてて風が吹くと一斉にそれが鳴る映像がよかったよと言うと、Uは「ふーん、でもあれって流れてくる音が変わんないよね」とつまらなそうに答えた。なるほど、ボルタンスキーが提示するおびただしい死と記憶の堆積のなかで、心音と明滅する光は命のメタファーなのだと父親はそのとき了解した。生のパルスは不安定に変化する。

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会場の片隅に、ボルタンスキーがアニエス・ベーやH.ウルリッヒ・オブリストとともに1997年から刊行しているタブロイド版の冊子le point d'ironieの資料が展示されていた。ああ、そうだった、そのno.29がグリッサン特集号であることを思い出した。