ジャズ・フルート考

3月にグラーフのことを書いたが、そういえばジャズでもフルートを使うよな、と気になり出して、ここ3ヵ月間ほどジャズ・フルートばかり聴いて暮らした。

フルートは大体サックス奏者の持ち替え楽器であるが、ジャズ・フルーティストとして真っ先に脳裏に浮かぶのはヒューバート・ロウズ。ヒューバート・ロウズといえば70年代初頭のCTIレーベルだが、正直CTIはぼくにとってはBGMの域を出ない。70年代前半のMorning Star, Carnegie Hall, The Chicago Themeあたりを聴き直してみたが印象はあまり変わらない。クラシックも吹き込んでいるが面白くない。一番印象に残っているのは、91年頃出たジェシー・ノーマンキャスリーン・バトルがクラシック・アレンジのオーケストラとコーラスをバックに黒人霊歌を歌う『わが心のスピリチュアル』というLDのなかで、キャスリーン、ハープのナンシー・アレンと3人で演奏した「天上から音楽が/幼きダビデ」。冴え冴えとしたフルートのイントロとキャスリーン・バトルに控えめに寄り添うオブリガート。ああ、音楽は天上からエーテルのごとく降り注ぐのであった。

70年代前半あたりだとボビー・ハンフリーのBlack and Bluesがファンキーで個人的には好きである。彼女の音楽は、なぜか雪の日のドライブによく合う。

でもきっとハービー・マンのほうが面白いんじゃない? オムニバス盤で振り返ってみた。ヒューバート・ロウズほどテクニックはないが(ビル・エバンスと吹き込んだアルバムがあるのだが未聴。聴いてみたい)、アフロ・キューバン、アフリカ、ブラジル、とにかくあらゆるエスニック音楽に関心を寄せたハービー・マンの音楽は全‐世界音楽の前兆を示す雑多なエネルギーに満ちている。69年の大ヒットMenphis Undergroundのゆったりしたグルーブが心地よい。

もう少しジャズっぽいフルートはといえば、ジェレミー・スタイグ。同じく69年吹き込みのビル・エバンスとのWhat's New。以前にも書いたが、あまり得意ではないビル・エバンスのアルバムで一番好きなのがこれ。一曲目のStraight No Chaserからエンジン全開。ブレス・ノイズを音楽の一部にするジェレミーのアグレッシブなプレイに煽られてエバンスもガンガン行く。

だがやはりベストはエリック・ドルフィーだろう。ドルフィーバスクラを聴くと、この楽器を彼以上に操れる人間はいないだろうといつも思うが、フルートも凄い。なんといってもベルリンで客死する1964年に吹き込んだ遺作Last DateのYou Don't Know What Love Is。この曲の究極の名演と言えよう。抽象的な鳥たちが舞い、さえずり、虚空へ消えてゆく。

おっと、忘れちゃいけない大好きなローランド・カーク。サックス、マンセロ、笛やサイレンを身体中にぶら下げてそれを次から次へと手探りで手繰り寄せ、くわえ、ときには2本、3本(!)を一緒に鳴らすこの盲目の天才リード奏者はおそらく怪物のような肺活量の持ち主なのだろう。ものすごい息の量を吹き込んで強引に鳴らすフルートの野太い音。62 年の名作Dominoのタイトル曲のテーマをカークはフルートで吹く。切々としたマイナー・ワルツである。人生は切ない。

ドルフィー、カークと来たらもう一人ユゼフ・ラティーフを挙げなければならないだろう。コルトレーンが仰ぎ見たこのマルチ・リード奏者は30才頃にイスラムに改宗し、2013年に93才の人生を閉じた。彼はなんとオーボエをジャズに使った数少ないミュージシャンである(オーボエって値段の高い楽器です)。61年に吹き込んだアルバムEastern SoundsのBlues For The Orientではオーボエのブルース演奏が聴ける。アルバムは全体的にやや大人しすぎる感もあるが。ラティフの持ち味はスローからミディアム・テンポでメロディをゆったり歌うところにあるように思われる。たとえばドビュッシーをイントロに引用したYesterdaysのフルートのこの演奏がすばらしい。https://www.youtube.com/watch?v=d4Wqd-b0FRM

おまけにもう一人。ベルギー生まれのボビー・ジャスパー。僕はウィントン・ケリーの名盤、Kelly Blue(59年)での演奏しか知らないが、ネットでこれを見つけた。It could happen to you。かなり古い映像で画質も悪いが、目も覚めるような鮮やかなハードバップのアドリブが聴ける。

https://www.youtube.com/watch?v=XXdrKeqzXso

 

 

 

 

 

 

カメル・ダーウド、もうひとつの『異邦人』ムルソー再捜査(鵜戸聡訳、水声社)

『異邦人』において、ムルソーに殺害された名もなきアラブ人。その弟が、アルジェリアの酒場で夜毎、フランス人大学教授とおぼしき人物を相手にカミュのテクストに異議申し立てをおこなう。カミュを「君の殺人作家」と呼び、「退屈し、孤独で、自分自身の足跡に関心を寄せ、堂々巡りし、アラブ人たちの死体を踏みにじりながら世界の意味を探している君の主人公」とムルソーを名指しし、「〈アラブ〉、僕は自分がアラブだと感じたことは一度もないんだよ。ちょうど黒人性(ネグリチュード)が白人の眼差しによってしか存在しないようにね。」と語る(p.86-87)。語られる対象の主体性不全への抗議というポストコロニアル文学の鮮やかな逆襲劇である。「今日、マーはまだ生きている」という冒頭の一節から始まって細部にわたり周到にカミュのテクストを反転させてゆくパロディないし鏡状構造は、アラブ人による『異邦人』の書き直しを目論む。ダーウドはカミュのように宗教(導師イマームの権威)と既成道徳(母の権威)への反抗を、濃密なモノローグのディスクールとして差し出すのだ。本作は単なる対抗言説ではなく、ひとつの抵抗文学である。このテクストが訳された今、もはや2冊の『異邦人』を続けて読むしかないだろう。それは文学の世界性を理解するひとつの道しるべとなるだろう。原作はKamel Daoud, Meursault, contre-enquête, Actes Sud, 2014。鵜戸さんの解説によると、本書はデフォーの『ロビンソン・クルーソー』の影響下で書かれたとあり、作者のインタヴュー記事が引用されているが、そこでダーウドは次のように語る。「島の空間が私の興味を引くのは、ひきこもりの空間としてではなく、世界の意味を再構築することのメタファーとしてなのです。」いい言葉だ。

 

ジョゼフ・ゾベル『黒人小屋通り』(松井裕史訳、作品社)を読む

松井裕史訳、ジョゼフ・ゾベル『黒人小屋通り』を読了。ついにフランス語圏カリブ海文学の古典が日本語で読めるようになったわけだ。名訳だと思う。作品の魅力は、描き出されるマルティニクのサトウキビ労働者の生活世界の鮮やかさに加えて、ゾベルのユーモアあふれる観察眼の鋭さや叙情的な想像力の豊かさにも拠るところが大きいーーたとえば、ザリガニの世界(p.70)、フルートの音(p.155)。日曜日のお祭りのシュヴァルボワ(回転木馬)の魅力...。サトウキビ畑の世界から奨学金を得て脱出するジョゼ少年。彼は忌まわしき支配者フランスの文学に接近することで、脱出の切符を手にするのだ。リセ・シェルシェールに入学して出会った裕福な友人ビュシがそのきっかけを与えてくれた。「読書が好きになって、長続きするようになったのはクリスチャン・ビュシのおかげだった。両親がビュシに本を買って、ビュシがそれを全部貸してくれたのだ。そのときから世の中は、手で触れられる限界の外にまで広がった。」(p.194) そして学ぶにつれて、身を粉にして自分を育ててくれた祖母マン・ティヌの貧しさの理不尽さに気づいていく。「でもなぜだろう。どうしていい家に住めず、破れていない服を着られず、パンも肉も食べられず、僕の首の周りにまきついて喉をしめつける悲しい言葉をいつも延々とつぶやくのをやめないんだろう。」(p.197)ここにこそマルティニクという土地の文学の立ち上がりがある。マン・ティヌの死にうなだれるジョゼは、語ろうと思う。「それは、目や耳をふさぐ人たちに向け、声を大にして言わなければならない話だ。」そう、『レザルド川』は同じエンディングを反復していたのだった。

1915年に生まれ2006年に亡くなったゾベルがこの作品を発表したのが1950年。ユーザン・パルシーがこの小説をもとに『マルティニクの少年』を発表したのが1983年。久しぶりに見たくなって昔ダビングしてもらったVHSを探すが見当たらない。引っ越したときにどっかにやっちゃったのかなあ。ゾベルは何を持ってたっけ。本棚を探すとDiab'laとLes mains pleines d'oiseuxがあった。たしか10年ほど前にマルティニクの本屋で買ったものだ。次はこれを読もうかなと思ったが、その前にジョゼの友達カルメンが気に入っていたルネ・マランのバトゥアラにしようかな。松井氏の解説を読むと、リチャード・ライトも読まなくちゃな。 

 

 

ダヴィッド・ジョップ詩集(中村隆之編訳、夜光社)を読む

詩(ポエジー)の振る舞いは多様だ。マラルメのように言葉自体への問いを前景化させる哲学的省察となることがある。ブルーズのように一人称をとりながら間主体的に民衆の生活を表出する歌となることがある。アフリカ人を両親にもち33才で早世したダヴィッド・ジョップの詩文は、文学として陰影豊かに躍動して読み手にストレートに届く(たとえば「すべてを失った者…」「欺く連中」)植民地支配への宣戦布告である。サンゴールが編纂した『ニグロ・マダガスカル新詩華集』(1948)に収められた5編に、唯一の詩集『杵つき』(1956)を収める。表紙のイラストがとてもよい。散文では「国民詩論争への寄与」がとりわけ興味深い。「詩とは、感受可能なものと知的把握可能なものとが調和的に融合したのであり、音と意味の組み合わせ、イメージ、リズムを通じて、詩人と彼を取り囲む世界との内的な結合を実現する能力である...詩は、生活の自然言語であるのだから、詩が現実と接触するかぎりにおいて湧き上がるのであり、刷新されるのである。詩は束縛や命令のもとでは死んでしまう。」(p.47)詩は民族(国民)のアイデンティティを支える役目を担うことがある。そのとき詩の振る舞いはどのようなかたちをとるべきか。ダヴィッドは「国民的性質」を特定の形式の使用に限定してしまうことを戒める。それは「国民的なもの」を無変化なもののように捉えてしまうことになりかねないからだ。このあたりはアラゴンを批判するセゼールの立場に与するダヴィッドの詩学の柔軟性がうかがえると思う。アフリカの詩人とは「みずからが抱えるあらゆる矛盾と未来への信念をもってアフリカの存在を肯定することで…われわれの国民的諸文化のルネッサンスに寄与する」者であり、詩とは「世界について省察し、アフリカの記憶を保持すること」である。ミアノの詩学の底流のひとつがここにあるだろう。

丁寧な解説と豊富な図版資料のついたすばらしい本である。それにしても、サンゴールの『ニグロ・マダガスカル…』の邦訳が望まれる。

 

フルートを吹く

勤め先の吹奏楽部の定期演奏会ティーンエイジャーとともにステージで1曲フルートを吹いた。曲は70年代後半の吹奏楽の名曲Disco kid。その名の通りディスコ調でSky highとかThe hustleみたいなわれわれの年代には懐かしい雰囲気。8小節のソロまでもらった。楽しかった。(ちなみにこの曲の究極の名演はこちら。https://www.youtube.com/watch?v=7RhtfzmSD00 村上ポンタ秀一さんのドラムがキレまくってます。)

とはいえ、ほぼ4年間のブランクのあと合奏に加わるレベルまでコンディションを戻すのは予想以上に大変だった。1月中旬から練習を再開して、まともな音が出るまで1か月。演奏会の直前になってようやく楽器が鳴るようになったけれど、運指のトレーニングは追いつかなかった。前みたいな運動性を回復するにはスケールの練習を積まなければならないだろう。

僕の楽器はYAMAHAのYFL-41。高校生のときに買ってもらった銀メッキのフルートでこれを今でも使っている。去年意を決してオーバーホールした。ぼくはフルートを人に習ったことがない。中学のブラスバンド部で吹き始めたとき、吉田雅夫の「フルートとともに」というNHKの番組を見たのが唯一のレッスンだった。教本も吉田先生の「フルート教則本」だけ。ソノリテもアルテもやったことがない。

ひさしぶりに楽器と格闘すると、今まで考えもしなかったことが意識される。それが面白かった。フルートって吹奏楽器のなかでは実に原始的な楽器だと思う。リードや唇を震動させることもなく、ただ歌口に息を吹き込む角度を調節することで発音する笛なのだから。息の流れを音にする。歌口が声帯である歌手になる。そしてフルートの練習はけっこうな運動である。背筋を伸ばして立ち、深呼吸の連続、それに腹筋を使う。健康にいいことこの上ない。せっかく再開したのだから、これからもなんとか時間を作って吹き続けようかとも思う。

好きなフルーティストは、と聞かれたら、ペーター=ルーカス・グラーフと答える。スイス人で、最初に買ったフルートのレコードはグラーフのバッハ、フルートソナタ全集だった――一番好きな曲は、偽作としてのちに全集から削除されたg-moll。高校生のときによく吹いていた――。その静謐な音と音楽作りが好きで、高校生のとき東京文化会館までリサイタルを聞きに行ったことを覚えている。もう亡くなっているだろうなと思ったら、なんと昨年90才で来日してリサイタルを開いているではないか! これは奇跡である。 

 

マリーズ・コンデへのオマージュ

 義父の葬儀を終えて、18時恵比寿日仏会館に滑り込みで間に合った。三浦信孝×管啓次郎×大辻都という豪華キャストの講演会。昨年スキャンダルで中止となったノーベル文学賞代替のニューアカデミー文学賞を受賞したグアドループの女性作家マリーズ・コンデへのオマージュである。東京でお会いしたことのあるFrançoise Vergèsさんの脚本、Jérôme Sesquin監督による50分のドキュメンタリー・フィルムMaryse Condé, une voix singulière(2011)を観てからディスカッション。前から見ようと思って作品だが、こういう環境でじっくり鑑賞できたのはありがたかった。そして3人のお話しから作家コンデの凄みを再確認した。やや観念的なグリッサン・ワールドに対してコンデの小説世界にはアフリカ人との最初の結婚をはじめ、アフリカ、カリブ海、フランス、アメリカを股にかけたさすらいの実人生のリアリティがより強く反映されていると言えるだろう。アラブ、イスラムについての主題も創作に織り込まれているようだ。伝統料理ではなく創作料理が得意というエピソードは非常に興味深かった。大いなる単独の渡りを紡ぐ文学者マリーズ・コンデを再読しよう。今まで読んだのは管啓次郎訳の『生命の樹』、くぼたのぞみ訳『心は泣いたり笑ったり』、風呂本・西井訳『私はティチューバ』、かつて管先生のゼミで読んだTraversée de la mangrove、くらいか。Les derniers rois mageを途中でやめてしまったのでもう一度チャレンジしよう。Madeleine Cottenet-HageとのPenser la créolitéもあったな。最近の料理をテーマとした作品も面白そうだ。家に帰ってから三浦先生編訳の『越境するクレオール』をもう一度開いた。

                  ★

会場で松井裕史さんからゾベルの『黒人小屋通り』を、また中村隆之さんから『ダヴィッド・ジョップ詩集』を頂いた。どちらも画期的な訳業である。しっかり読んで感想を書かせていただきます。最近講演会に出かけるたびすばらしい本を頂戴し、まるでわらしべ長者になっていくようだ。

 

石田英敬先生最終講義

 午前中の授業を済ませて本郷へ。15時より福武ホールで石田先生の最終講義が始まった。今日のお話のなかではマラルメフロイトが大きなトポスである。マラルメは文字/記号が自動的に展開する現代のメディア状況を看破し、機械の無意識が人間に侵入する現代のわれわれの生活状況はフロイトにさかのぼって考察される。自走する記号と機械の無意識、ヒューマニティの根底に横たわるそうした「人間のゆらぎ」の基底条件の考察を無視してこれからの人文学はありえない、と石田先生は説かれた。

 寺山修司の「さらばハイセイコー」(泣けるね)をガイドにご自身の歩みを振り返ったお話は身の引き締まるドキュメントだった。配布されたふたつの論考「詩の言語と数の言語」と「〈情報記号論〉講義」によって、先生の研究の主題(記号学と情報学の接続)と実践をあらためて簡潔に辿ることができたのはありがたかった。90年代後半、言語情報の先生のゼミに参加し、「イジチュール」を自力で全訳してそこにデカルトの影を読み取ろうとした噴飯もののレポートを書いたことのある自分にとっては、前者の論考で言及されていた「社会のポイエーシス」の書籍化が待たれる。(まったく無関係にグリッサン/シャモワゾーらの「高度必需宣言」が頭をよぎる…。)詩学とポリティクスの接続を石田先生からぼくは学んだ。ゼミでの白熱した「君が代」議論も懐かしく思い出される。会場でデリダの『精神分析の抵抗』を頂いた。      

 祝賀会では久々にお会いした小野正嗣さんの洒脱なスピーチを楽しんだ。久々の「石田節」に勇気づけられて会場を後にする。ぼくも自分のできることにベストを尽くそう。数日後、ふたつの論考を熟読しているうちにフッサールをちゃんと読もうと思い立ち、田島節夫『フッサール』を久々にひっぱりだした。大きな船で大海を行くオデュッセイアの冒険譚を仰ぎ見ながら、一枚のレコードを聴くための無人島を探す崩壊寸前の筏の漂流は続く。