カメル・ダーウド、もうひとつの『異邦人』ムルソー再捜査(鵜戸聡訳、水声社)

『異邦人』において、ムルソーに殺害された名もなきアラブ人。その弟が、アルジェリアの酒場で夜毎、フランス人大学教授とおぼしき人物を相手にカミュのテクストに異議申し立てをおこなう。カミュを「君の殺人作家」と呼び、「退屈し、孤独で、自分自身の足跡に関心を寄せ、堂々巡りし、アラブ人たちの死体を踏みにじりながら世界の意味を探している君の主人公」とムルソーを名指しし、「〈アラブ〉、僕は自分がアラブだと感じたことは一度もないんだよ。ちょうど黒人性(ネグリチュード)が白人の眼差しによってしか存在しないようにね。」と語る(p.86-87)。語られる対象の主体性不全への抗議というポストコロニアル文学の鮮やかな逆襲劇である。「今日、マーはまだ生きている」という冒頭の一節から始まって細部にわたり周到にカミュのテクストを反転させてゆくパロディないし鏡状構造は、アラブ人による『異邦人』の書き直しを目論む。ダーウドはカミュのように宗教(導師イマームの権威)と既成道徳(母の権威)への反抗を、濃密なモノローグのディスクールとして差し出すのだ。本作は単なる対抗言説ではなく、ひとつの抵抗文学である。このテクストが訳された今、もはや2冊の『異邦人』を続けて読むしかないだろう。それは文学の世界性を理解するひとつの道しるべとなるだろう。原作はKamel Daoud, Meursault, contre-enquête, Actes Sud, 2014。鵜戸さんの解説によると、本書はデフォーの『ロビンソン・クルーソー』の影響下で書かれたとあり、作者のインタヴュー記事が引用されているが、そこでダーウドは次のように語る。「島の空間が私の興味を引くのは、ひきこもりの空間としてではなく、世界の意味を再構築することのメタファーとしてなのです。」いい言葉だ。