アンドレ・ドーテル『悲しい村』

 しばらく放っておいたAndré Dhôtel, Le Village pathétique(1943)をガリマールのフォリオ版で読了。フランス北部からベルギーにまたがるアルデンヌ地方の風土を礎に創作した作家。パリ近郊に暮らす25才のジュリアンは大学を卒業したあと定職につかず文学を志しており、父親は自転車屋を営んでいる。ジュリアンは近くに引っ越してきた、建築事務所でデザイナーとして働く気丈な19才のオディールと親しくなり結婚し、自転車で北へ向かう旅に出るが、実は性格と志向の不一致から離婚寸前の状況にある。ベルギーに向かう途中、小村ヴォーセルの太陽軒というホテルで食事をしたのがきっかけで、二人はその魅力にとぼしい村にひと夏滞在することになる。小説はフランス北部の小さな村に紛れ込んだ二人の「都会の若者」が次第に村の生活にかかわってゆく様子を描く。核となるのは、近くの泉から運河をひいてこの村に池をつくりそれを利用して観光や産業を興そうとするオディールの提案がひきおこすさまざまな事件である。ジャンヌ・ダルクよろしく村の救世主とあがめられ、気ままにふるまう知性的な美少女オディールと、その魅力に魅せられた村の若者たちとのあいだには恋愛や憎悪のさまざま緊張関係がうまれる。そしてオディールは次第に村人の反感を買うようになる。一方ジュリアンは村議会選挙に立候補して当選する...。
  リアリスムのなかにmerveilleuxな要素を忍び込ませる作家ドーテル。その傾向は邦訳があるもののなかでは『荒野の太陽』や窪田般彌他編『フランス幻想小説』収録の短編「見えない村」などに顕著である。本作はリアリスティックな作風に貫かれているが、オディールの人物造形にどこか現実離れした趣が感じられた。また人間のドラマと並行して、アルデンヌ地方の自然描写(風、天候、地形、森の様子、草木の詳しい解説など)がめざましい。そこがひとつの魅力である。
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  グリッサンが『サルトリウス』でアフリカの架空の民バトゥトの集落を語るときに不意に登場するドーテルの名。フォークナーと共振するグリッサンのまなざしはドーテルというパサージュを通じても「村」という閉じた共同体へと向かう。窮地に陥ったオディールや他の2,3人の登場人物が「植民地」へ脱出しようかと思案するくだりもグリッサンの眼にとまっただろうか。
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  ジャン・ジオノの小説の舞台は南仏オート=プロヴァンスアンドレ・ドーテルの舞台はアルデンヌ。田舎の自然を舞台とした物語を立て続けに読んだ。都市の文学とはまったくちがった風景が広がった。