セルトー『日常的実践のポイエティーク』

 しばらく前に読んだセルトーのノートを整理した。ミシェル・ド・セルト−は1925年に生まれ1986年に死去したフランスの宗教史学者でイエズス会士。原典はL'invention du quotidien---1.arts de faire,1980。邦訳は1987年でタイトルなぜか『日常的実践のポイエティーク』、いかにも80年代的タイトルだが(?)、人々の日常生活の実践知のあり方を探求した斬新な理論書だった。フーコーとブルューの仕事をにらみつつ、人間を拘束するパノプティコンのシステム内でそのシステムを流用したり、そこから逃れながら己れの生を営むふつうの人々の知の実践のありようを分析した。本書で顕著な点のひとつは言語論的、とくに発話行為論的接近である。人々が日常言語活動の主体であるとすれば、その活動にはどのような特徴があるのか? フロイトの『幻想の未来』を参照すれば、凡人は「語り手」になるときディスクールの共通の場を設定する、といえる。語ることによって人々は周囲の文化ないしシステムへのアプローチを開始するのだ。だがウィットゲンシュタインが明らかにしたように、われわれは自分たちが使用する語の慣用を一望におさめてはいない。ことばを規定する絶対的なシステム(哲学的真理)は存在せず、ことばは常に使用というアクションによって習得され、使用領域によって変化していく。語りはいつも流動的なのだ。セルトーの関心はなんらかのドミナントなシステムを言い当てることにではなく、システムのなかでそれを利用したりそこからすり抜けたりしながら生を紡ぐ人間の技に光をあてることにある。つまり、国家や企業が提示する「戦略」stratégiesではなく、弱者が窮地を生き延びるための「戦術」tactiquesが問題となる。人々は権力装置の眼を逃れながら、場所の掟をすりぬけつつ、さまざまな知恵を借用しながら「なんとかやっていく」faire avec。セルトーは語る。


――わたしが〈戦術〉とよぶのは、自分のもの[固有のもの]をもたないことを特徴とする、計算された行動のことである。ここからが外部と決定づけるような境界づけなどまったくできないわけだから、戦術には自律の条件がそなわっていない。戦術にそなわる場所はもっぱら他者の場所だけである。したがって戦術は、自分にとって疎遠な力が決定した法によって編成された土地、他から押しつけられた土地のうえでなんとかやっていかざるを得ない。 ... 戦術が手に入れたものは、保存がきかないのである。こうした非‐場所性のおかげで、融通がきくのはたしかだが、一瞬さしだされた可能性をのがさずつかむためには、時のいたずらに従わねばならない。 ・・・ 戦術は密猟をやるのだ。・・・戦術は、戦略が権力の公準によって編成されている一方で、権力の不在によって規定されている。(邦訳 p.101-103、一部語句を変更)

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 またセルトーによれば「場」とは盤石の土台ではない。そこには無数の穴があいている。場を暗黙のうちに統括するマニュアル(フーコー的な意味でのディスクール)は万能でなく、そこから漏れるさまざまな非ディスクール的操作が存在する。それが人々の「戦術」である。セルトーが目を向けるのはそうした残余の記憶である。ではそうした記憶をどのように掬いあげればよいのか? 物語を書くことによってである。ものをなす技art de faire=語る技art de dire。記憶の発動は時間のなかでしか行われない。物語の時間、それは「戦術」知の実践の本質にかかわっている。
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 セルトーによる民衆の実践知の分析でもうひとつ注目すべきは、〈歩行〉をとりあげる点である。歩行とは地理システムを自分のものにしてゆくプロセスである。空間の実践とは歩行によって既成秩序になんらかの操作を加え、ずらしていくことである。そして歩行行為は発話行為に等しい。
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 セルトーの哲学はシステム構築に目を向ける者にとっては無用のものだろう。マイナーでローカルなまなざし。「その場所」の流動性。たしかに「民衆」って誰のことかはずっと気になるけれども(抽象的理論の宿命?)。しかし、セルトーからさまざまなラインが伸びて行く。インゴルドへ、グリッサンへ、歩行の詩学へ、即興の詩学へ。


――話histoireは地面から、人びとの足どりとともにはじまる。それらの足どりは数だ。だが、そろって数列をつくったりしない数である。その数はかぞえられない。なぜならひとつひとつが質的なものだから。触覚で習いおぼえ、運動感覚で身につけるひとつのスタイル。そうした足どりの群れは、それぞれが独自なものからなっている数ええぬものである。(邦訳p.209)