センベーヌ・ウスマン『母たちの村』(2004)

 久しぶりにWC研でホストを務める。明治大学中野キャンパス初潜入である。セネガルの作家、映画監督であるSèmbene Ousmane(1923-2007) の『母たちの村』は124分という長さを感じさせない強烈なインパクトのある作品だった。15%の少女が命を落とすという女子割礼は、フィルムのなかではイスラムの伝統であるということになっているが、紀元前2世紀ごろまで遡るという記述もある。ロケ地はセネガルではなくブルキナファソの小村。ニジェール川流域に住む人々の暮らしに触れる。土でできたモスク。色彩にあふれ、ことばのやりとりのはしばしにまで音楽があふれる美しい文化だ。しかしすべての文化伝統や慣習の内容を「自然」だとして受容すべきだとは到底いえないだろう。割礼だけではなく、「ラジオ刈り」というメディア規制や検閲の問題も扱われる。没収されるラジカセ、フランス帰りの村長の息子が持ち込んだテレビ、最後にクローズアップされるアンテナの形状からすると、時代設定は80年代だろうか。ファノンの『革命の社会学アルジェリア革命第5年』で語られたラジオという武器を思い出す。センベーヌ・ウスマンの「告発」には時代設定や文化地域の枠を越えるものがある。割礼に怯える少女たちを保護し(原題Moolaadéは保護の意)、無意味な伝統に抵抗する女性コレの勇気は、ぼくたちの周りにも見出せるだろう。割礼を拒んだ女性は「ビラコロ」と呼ばれ、差別を受ける。
 作家センベーヌ・ウスマンについて何も知らない。まず処女作Le Docker Noir(1956)を読もう。『セネガルの息子』(1957)、『神の森の木々』(1960)などの小説は邦訳がある。