HIBAKUSYA 世界の終りに/日本の大転換

 WC研。室谷さんのナビで鎌仲ひとみ監督『HIBAKUSYA 世界の終りに』(2003)を見る。多くの賞を取ったドキュメンタリーだが、今こそこの作品をふり返るときだ。湾岸戦争劣化ウラン弾放射能に苦しむイラクの人々、広島・長崎の生き証人、マンハッタン計画によりプルトニウムの精製がおこなわれた米国ワシントン州ハンフォードの農民たち。3つの場所、3つの時間を重ね合わせて、被ばくの意味があぶり出される。その軌跡は福島原発事故へつながる。ここにもグリッサンの「関係の詩学」が発動しているのだ。今わたしたち日本人がこの作品を見ることは辛い。しかしこの作品を通じて被ばくとは社会が生み出したものであるという事実、そして放射能汚染がいかに莫大な時間と空間に広がるものかをしっかり認識し、世界のさまざまな場所とその場所での経験や生の軌跡は連動しているのだという感覚を持たなければならない。それは〈全−世界〉のパースペクティヴを持つことである。そのパースペクティヴを身につけることによって、ひとつひとつのの場所の意味は、確実に変わる。
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 すばる6月号、7月号に連載された中沢新一の「日本の大転換」は、原子力エネルギーの根本的問題点を明確に提示している。それは、本来、地球の生態圏には属さない核分裂という太陽圏のエネルギー現象を生態圏に持ち込んだことにある。その太陽エネルギーの「無媒介的」使用は人間の管理能力を超え、破綻する。それが放射能汚染であり、被ばくである。われわれは生態圏を傷つけ生物の生存を危うくする原子力エネルギーからすみやかに脱却し、太陽エネルギーを「媒介的」に使用する太陽光発電などの生態圏と調和する新しいエネルギー革命に向けて科学技術と知恵を総動員すべきなのだ。そのエネルギー革命は人と人とのつながりに立つ地域社会を無効化しグローバルな流通システムで地球を覆い尽くす資本主義、市場経済の変更をともなうものであろう。新しい経済システムには、社会において人と人とがモノを交換するときに刻印される「贈与」の重みがふたたび導入されるだろう。中沢氏の指摘する科学、哲学、経済学といった総合知としてのエネルギー学という視点をわれわれは是非もたなければならないだろう。