大阪にて――万博と民博、ふたつのセカイ

8月12日、Uが出場する中学ソフトボール全国大会(男子ソフトボールってレアです)の応援に大阪まで車を飛ばす。500km越えのロング・ドライブである。13日、舞洲のグランドで長崎の強豪チームと対戦したが、無念の1回戦敗退。Uはショートで1番。コロナ明けの体調でよく頑張った。

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ソフトボール応援の前後に、妻と吹田の万博記念公園を訪れた。12日の夕方、35度を超える暑さのなか太陽の塔を見学。一度中に入ってみたかった太陽の塔。この化け物のような建造物が出現した1970年からすでに半世紀が経った。地球の歴史を想像する生命の樹インスタレーションはやはり迫力であった。そのあとEXPO'70パビリオンを見学。当時「鉄鋼館」だったこの記憶の館のなかで、高度経済成長期の日本のエネルギーと狂騒を感慨深く振り返る。万博からわずか50年後、世界は暴力的な西洋的近代化の果てに環境破壊が引き起こした気候変動によって壊滅的危機に瀕している(依然としてガソリン車を運転する自分に批判する権利はないが...)。現在、同じ時期に万博が開かれたら、見物客は熱中症でばたばた倒れていただろう。「人類の進歩と調和」のスローガンはこんな未来を予測しただろうか。見学を終えて外に出ると、太陽の塔は一向に衰えを知らぬ暑さのなかで、傾く陽光を浴びててらてらと輝いていた。側面から眺めるとやや猫背なその姿は、なんだか「千と千尋」のカオナシのようにもみえた。

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13日のソフトボール応援のあと、中之島美術館で岡本太郎展を見る。大部分は川崎の岡本太郎美術館の所蔵作品であり、あまり新鮮さはなかったが、最晩年のタブローが興味深かった。油絵画家として50年代と60年代にそのスタイルを完成していた岡本太郎は、最後まで枯れなかった。60年代に顕著にあらわれる流体的な動きはフランスのアンフォルメル絵画の影響があるそうだ。なるほど。戦後、前衛芸術を民衆のなかに導こうとした岡本太郎は、周知のように、丹下健三が設計した万博お祭り広場の水平的な大屋根を突き破る巨大オブジェによって「人類の進歩と調和」というスローガンに対する異議申し立てをおこなった。しかし身長70mの、ウルトラマンに出てくる怪獣のようなその姿を見ていると、これもまた高度経済成長期の産物以外のなにものでもないかなとも思えてくる。

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「鉄鋼館」の内部に「スペース・シアター」がある。12日、1000個のスピーカーが吊られてレーザー光線が飛び交ったこのホールで当時演奏(再生)された、武満徹の『クロッシング』、高橋悠治の『エゲン』、クセナキスの『ヒビキ・ハナ・マ』をホワイエで聴いた。武満の音楽はたゆとう持続音のはざまにきらきらと輝く破片が散らばる。高橋悠治の音楽は対照的に短い音符の反復を積み上げていく。クセナキスは太鼓のドローンのような重低音上に擦弦の軋みを堆積する暴力的音圧で圧倒する。ただ残念なことに、スペースシアターは現在メンテナンスされておらず、損傷が激しい内部に立ち入ることができなかった。ホールの座席で当時の光の演出とともに(?)この3曲を聞いてみたかった。武満徹は、芸術家は国家体制に利用されるべきではないという理由で万博イベントへの参加を最初拒否していたが、ホールが万博後も公共機関として存続するならばという条件で承諾した。だが、スペースシアターは人々の集いの場として整備されることはなく放置された。前衛音楽の旗手たちを飲み込んだスペースシアターは、右肩上がりの経済成長が生んだ狂乱の宴の廃墟として残存している。そう考えると、太陽の塔はスペースシアターと対照的な存在といえるかもしれない。リニューアルして数年前にオープンした塔が放射し続ける、生の根源を見よ、という近代礼賛へのカウンターパンチともいうべき岡本太郎のメッセージは、万博を知らない世代を惹きつけ、その胎内に人々を招き入れ続けている。これは廃墟ではない。現代のわれわれに未来を問う、たしかに「べらぼうな」モニュメントではないだろうか。

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14日帰京。吹田ICから高速に乗る前に、もう一度万博記念公園に立ち寄り、国立民族博物館を訪れた。新幹線でチームメイトと帰るUに遅れないように東京に戻らなければならないので駆け足の見学だったが、収蔵品の由来を示すパネル展示の世界地図にはっとした。EXPO'70パビリオンのなかにあった万博参加国や地域を示す世界地図とまったく違っている。万博が召喚した近代的セカイと、民博が提示する民族的セカイは、まったく別世界であった。ぼくらは複数のセカイ表象のなかで生きていることを痛感した。川瀬滋『エチオピア高原の吟遊詩人』を買って帰る。