セルバンテス『ドン・キホーテ』5(後篇二)

ドン・キホーテ』前篇出版が1605年。後篇の出版は1615年である。逆上して人形劇を破壊するドン・キホーテは「拙者には今しがた起こったことがすべて、そっくりそのまま現実のこととして起こったように思われた」と吐露する(47頁)。相変わらずフィクションと現実の敷居を取り払ってしまうドン・キホーテの狂気は健在である。小舟の川下りは騎士物語の常套「魔法の小舟の冒険」となり、木馬クラビレーニョに跨って宇宙を闊歩する。(読書会でも盛り上がったこの木馬のエピソード。管先生がシラノ・ド・ベルジュラックの『日月両世界旅行記』に触れられたとき、ああそうだなと思った。グリッサンも取り上げていた破天荒なユートピア小説は、読もう読もうと思いつつまだ読んでない一冊。さっそく注文した。)

前篇から10年後に出版された後篇で注目すべきは、物語の登場人物の多くが、『ドン・キホーテ』前篇を読んだことがある、という設定である。その設定が第5巻できわめて重要な装置となる。ドン・キホーテサンチョ・パンサは森の中で鷹狩の一行に出会うのだが(96頁~)その女主人である公爵夫人はサンチョにこう語りかける、「ねえ、従士さん、ひとつお聞きしますけど、もしかして、あなたのご主人というのは、いま出版されて世に出まわっている『機知にとんだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』という物語の主人公で、ドゥルシネーア・デル・トポーゾとかいう方を思い姫にしていらっしゃる騎士じゃありませんこと?」(100頁)。その物語のファンである夫人は、この主従を自らの城に招き、夫とともに、「自分たちがかつて耽読し、今でも愛好している騎士道物語におきまりの礼式や習慣にのっとり、彼のことを本物の遍歴の騎士のようにもてなす」(102頁)ことにする。公爵夫妻は家臣や召使にもその指示を出す。かくしてドン・キホーテ劇場は設定される。夫妻や家臣やドン・キホーテの友人たちがこのドン・キホーテ劇場に役者として参入し、ドン・キホーテをからかうさまざまなエピソードを展開してゆく(木馬クラビレーニョの場面もそのひとつ)。

いったいどういうことだろうか。すなわち、ドン・キホーテが演じる騎士物語は、出版され、読者を獲得し、その読者が物語自体の続行を支えているのだ。エクリチュールが物語に介入する。『前篇』や『偽作』のエクリチュールへの反応が物語の進行の一部となる。ドン・キホーテ自身もそうしたエクリチュールを意識してそれに反応する。『後篇』は次第に物語の自己言及性が色濃く打ち出されるようになっていくのだ。