プルースト読書会 vol.13

吉川一義訳『失われた時を求めて』第13冊は第7篇「見いだされた時」の約三分の二を収録。ついに「私」は小説家になってゆく。第一次大戦の時代を経て老いてゆくシャリュリスの描写が味わい深いが、男爵の登場を導く街の描写もまたよい。たとえば196頁のパリの黄昏時。「トロカデロの塔が見下ろす町のこのあたり一帯では、空がトルコ石のごとき色調の広大な海のように見え」に始まる一節。夜の帳が下りるとあたりにはオリエントの印象が漂い、1815年のパリやカルパッチョの描くヴェネチアへと変貌し、アルジェリア歩兵のうしろを追いかけるシャルリュス氏に私はばったり出会うのである。あるいは306頁。「澄み切って、風がそよとも吹かぬ夜だった。いくつもの橋床とその影がつくる円環のなかを流れてゆくセーヌ川が、私にはまるでボスポラス海峡のように想像された。」ドイツ軍の空襲に備える灯火管制のなか、暗い街はずれを彷徨う私は偶然シャルリュスが快楽をむさぼる男娼館へたどりつく。ひとつの風景がさまざまな時空に広がってゆく。

第一次大戦の深刻な緊張は描かれない。戦死するサン・ルーにしても、ドイツの空襲をワルキューレに譬え、「そうとも、サイレンの音楽はまさに『騎行』だ! パリでワーグナーを聴くには、やっぱりドイツ軍の到来を必要とするのさ」(184頁)。ちょっと気障なゲルマントの貴公子のせりふに、コッポラの『地獄の黙示録』とコンラッドの『闇の奥』が重なる。

「私」は療養所を出てパリに戻る際、「木々よ・・・きみたちはもうぼくに語るべきものをなにひとつ持っていない、冷え切ったぼくの心にはきみたちの声が聞こえてこない」「ぼくが自然を謳うことができたかもしれぬ歳月は二度と戻ってこないだろう」(405-406頁)と嘆く。しかしそのあとゲルマント大公邸に車で赴いたとき、「私」にはあの「想起」が訪れる。「私がその通りへはいりこんだとたん、突然、車が、まるで庭園の鉄柵が左右に開かれ、細かい砂利や枯葉に覆われた小径を滑るように進んでゆくときのように、それまでよりも楽々と静かに音もなく走ってゆくような桁外れに穏やかな感覚によって、私はそれまでの考えから引き離された。なんら物理的にそうなったわけではないのに、私はいきなり外界の障害が消え失せるのを感じた。」(412頁)私はフランソワーズと歩いた通りを思い出し「ゆっくりと静かな回想の上空を登っていった」。ゲルマント邸では敷石に躓いたときにヴェネチアが想起される...。こうしたささいな日常の経験や知覚は「無数の閉ざされた器のなかに閉じ込められている」(438頁)。「私」はその器に閉じ込められた過去の蘇生を試みる。自然を謳うことの不可能から、あるいはロマン主義との決別から、知覚と過去の想起をつなぐパサージュの構築を決意する。そしてそのパサージュに世界は現前する。「人びとの過去には、役にも立たない無数のネガがあふれている。知性の力ではそれを「現像」できなかったからである。…文体とは、世界がわれわれにあらわれるそのあらわれかたの質的相違を明らかにするものであり、この相違は、意識的な直接の手立てでは明らかにできず、芸術が存在しなければ各人の永遠の秘密にとどまるだろう。われわれは芸術によってのみ自分自身の外に出ることができ、この世界を他人がどのように見ているかを知ることができる。」(490-491頁)