管啓次郎『PARADISE TEMPLE』

 

砂浜のある海が見たくなった。圏央道をひたすら南下して相模川河口へ向かう。そこには平塚漁港がある。打ち寄せる波の響きがずどんずどんと腹に響く。ああ海だ。広大なエネルギーだ。傾きかけた太陽のもとでウェット・スーツに身を固めたサーファーが波に斜めのラインを切ってゆく。波と重力を使って遊ぶのがサーフィン。スキーは雪と重力を使って遊ぶ。似ている。

砂浜に座って『PARADISE TEMPLE』を読了。シュルレアリスムをベースに軽妙なユーモアと言葉遊びを孕んで歩行する詩文によって、いつの間にか知らない場所に連れていかれる快感。燦然と輝く「Sun Dog」。昨年の暮れ、オンライン・レクチャーの余白で240人のティーンエイジャーに朗読した「未来を踊ろう」も好きだ。「文学とは何か」はすごい。メタ言説も詩になってしまうのだから。言葉のいちばん自由な思考を詩というのだ。最近の読書で、この「文学とは何か」と吉川訳『失われた時を求めて』第13冊(見いだされた時Ⅰ)で、改めて文学とは何かを教わった。いまさらながら、文学という場所の重みを心に感じる。するとエネルギーが少しずつ満ちてくる。