シュタイナーの黒板絵

 妻に誘われてワタリウム美術館にシュタイナーの黒板絵を見に行った。カンディンスキーやヨゼフ・ボイスに大きな影響を与えたこの思想家の巨大な思想圏を遠くから眺める。『ルドルフ・シュタイナーの黒板絵』を買って読んだ。坂口恭平が「ゲーテアヌム旅行記」というグラフィティ・エッセイを寄せている。会場には坂口恭平作のゲーテアヌムのジオラマも展示されていた。「自らを知ろうとするなら、世界の隅ずみにまで目を向けよ。世界を知ろうとするなら、自らの内側の深層に眼を向けよ。」1923年11月9日の板書。入間カイのテクスト「革明思想としてのシュタイナー教育」がよい。「子ども自身にとっても、社会にとっても、もっとも重要な資本は、個人の意欲(意志)である。意欲がなければ、個人の創造も、社会の進化もありえない。しかし、他者の意志を支えるためには、自己意志の自律が必要なのだ。そこにおいて教育は社会創造と一つにつながるのである。」しかし問題はどの方向に社会を向けるかということだろう。シュタイナーは芸術と教育の一体性を説いた。
 ゲーテアヌムなどにみられるシュタイナーの有機的建築はあきらかにドイツ表現主義アール・ヌーボーといった時代の潮流と結びあっている。専門家から「スピリチュアルな機能主義」と呼ばれるその造形言語のなかで興味深かったのは、建築が空間を区分するのではなく宇宙の彼方までそこにいる者をつれていくのだという思考である。たとえば「壁が自らを否定すること、だから閉ざされた部屋にいるようにそこに座るのではなく、ミクロコスモスとしての自分が、マクロコスモスと直接結びついているように座る」ことをシュタイナーは促す。壁は空間を区分するのではなく、世界に照応するという姿勢は、グリッサンのアダミ論とも通じ合っていて興味深い。
 シュタイナーの霊的世界観に入って行くのは正直いっていまの自分には難しい。しかし若きシュタイナーはカントの『純粋理性批判』を20回以上も読んだという。カントが思考を停止した地点からシュタイナーは思考を開始したのだろう。『自由の哲学』は理知的な言語でその地点から出発する。いずれしっかり通読したい。(2015年1月3日記)