ソフトボールと積丹半島とサリンジャー

Uは高校でもソフトボールを続けている。所属するチームが石狩市で開催されるインターハイに出場することとなり、応援するために北海道に飛んだ。8月6日、石狩湾近くのグラウンドで行われた1回戦で静岡の強豪校と対戦したが、健闘むなしく敗退。練習を積んで少しずつ強くなっていってほしいものだ。Uはチームと一足先に帰京したが、せっかく北海道まで来たので、夫婦で観光して帰ることにした。

「民族共生象徴空間」として整備された白老コタンに行こうとしたら、ちょうど月曜日で休館日であることに気づいた。さてどこへ行こうか迷った末、足を踏み入れたことのない積丹半島をドライブすることにした。20代の頃ニセコアンヌプリから雷電山まで残雪期に山スキーで歩いたことがあったが、そこから北に見える積丹半島の山々の圧倒的量感に魅了されたのを覚えている。小樽で高速を降り、国道を海沿いに西進するにつれて点々と現れる集落の数は次第に減り、爆発する山の緑が海に雪崩れ込む秘境的風景が広がる。どこかアイルランドを彷彿とさせる。いつか余市岳や積丹岳に登ってみたい。積丹岬の駐車場に車を止め、断崖絶壁に切られた遊歩道を降りると、そこは奇岩に囲まれた小さな入江、島武意海岸。岩峰の荒々しさとエメラルドブルーの静かな水面のコントラストがすばらしい。車まで戻って15分ほどさらに西進して、夕方、神威岬に到着。ここは積丹半島の突端である。岬の先端まで20分ほど細い岩稜に作られた遊歩道を歩くのだが、時折空中に渡された金属製のブリッジを渡るのがスリル満点。岬の突端は一気に海に落ち込み、その先に、海に潜ろうとするオットセイがその前にもう一度ひょいと海面に姿を見せたような神威岩が波に洗われている。陸地が次第に心細くなって海と邂逅する岬という場所のポエジー

旅のあいだにLouis Sachar, There is A Boy in the Girls' Bathroomを読む。勤め先のティーンエイジャーのための夏課題図書だが、主人公の問題児ブラッドリーくんはじめ、その他の小学生の言動がめちゃめちゃ面白くて何度も噴き出してしまう。ペーパーバックを手に取るのは初めての人が大半だろうが、みんながんばって読了してもらいたいものだ。

さて、そこで引用されているサリンジャーRaise High the Roof Beam, Carpenters and Seymour: An Introductionが気になって邦訳(『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモアー序章ー』、野崎・井上訳、新潮文庫)で読んでみると、なるほど、エキセントリックでナイーブで天才的にクリエイティヴなブラッドリーくんの人物造形には、サリンジャーシーモアの影響があるかなと感じた。

『大工よ…』はサリンジャーによるグラース・サーガの一冊。シーモアは詩人であり、自殺してしまったシーモアの人生と作品を語る(語ろうとする)弟バディは本作の語り手であるが、彼は小説家であり批評家である。この特異な作品は小説の体裁を取りつつ詩と散文(小説、批評)を橋渡しする詩学(詩論)としてのパースペクティヴを備えている。そのなかで、シーモアがバディの作品をこんな風に批評する一節がある。「おまえは作家なのか、それとも単にすばらしく気のきいた物語の作者なのか? ぼくはおまえからすばらしく良い小説をもらいたいとは思わない。ぼくはおまえの戦利品が欲しいのだ」(168頁)。クー、かっこいい。