多桑/父さん

ちょっと遅刻して中野でWC研。温又柔さんのナビで台湾映画を観る。ウー・ニェンツェン監督の『多桑/父さん』(1994年)。日本統治下の台湾に育った鉱夫セガ日本語教育を受け日本に憧憬を感じて育った時代である。20世紀の台湾の人々の暮らしの変化が見て取れた。1945年台湾は日本に置き去りにされた。中国政府のエネルギー政策の転換によって鉱夫たちは置き去りにされ、セガの妻はセガに「置き去り」にされた。幾重にも折り重なる置き去りの堆積として物語は進行する。しかしドラマは決定的な悲劇へと傾斜せずに踏みとどまっているようにも思えた。それはセガを語る息子ブンケンの語り口と家族の存在によるのだろうか。20世紀台湾の時間の流れを、この映画を観ることで少しだけ勉強できた。炭鉱夫のゆえに肺を病み、苦しそうに呼吸するセガの病室のシーンは、間質性肺炎で死んだ父の最後の日々が思い出されてつらかった。それにしても最近ノヴァーリスの『青い花』を読んだばかり。ノヴァーリスには鉱物への詩的まなざしがあふれているのだが、今回炭鉱もののフィルムだったのでちょっとした偶然だったな。

バロン×晴ツ(横手ありさ)

そろそろ梅雨入りだが今日はまだ大丈夫。仕事を終えて高円寺のライブハウスへ。駅前の回転寿司に入ってから喫茶店でコーヒーを飲み、満ち足りた気分で20時ちょっと前に高円寺GRAINに滑り込む。壁には福島の帰宅困難地域の写真がずらりと飾られている。今晩はヴォードビリアンのバロンと横手ありさの率いるトリオを聴くのだ。前半のバロンさんはウクレレをメインにニューオリンズジャズからシャンソン、果ては牧信二までをカバー。森友やらの社会風刺も効いてる。スプーン・パーカッション、口トランペット(?)、タップダンス、パントマイムも取り混ぜてすごく楽しい。ステージで歌われた「JUBAN(襦袢)」−−これは傑作です!−−が入った『ソースと醤油』というすばらしいタイトルのCDを買う。後半の「晴ツ」は横手ありさのvo、武徹太郎のg、荒井健太のdsといったトリオ編成。最初の曲と最後の島唄2曲が心に沁みる。ありささんののびやかな声を久しぶりに楽しんだ。ドラムスがすごい。ギターの武さんが最後に弾いた自身の創作楽器「六線」の音がとてもよかった。「晴ツ」は発展途上の感じでこれからもっとよくなるでしょう。ヨーロッパ公演に向けてがんばってください。このところ芝居を見たりライブを聴いたり、ちょっと余裕が出てきたのがうれしい。

プロヴァンスの庭で

久しぶりに芝居を見た。仕事のあと、中央線で阿佐ヶ谷アートスペースへ。19時開演。山崎哲構成・演出「朗読と音楽の夕べ=劇の立ち上がり」。独創的な朗読劇だ。教え子のYとAFが舞台美術を担当し、彼女らが製作した4人の作家の肖像が壁面を飾っている。銃声音で幕があき、肖像画に描かれた四谷シモン漱石、芥川、太宰のテクストがコラージュされていく。そこにいくつかの詩も加わる。冒頭の四谷シモンの自伝が泣ける。石川真希による鮎川信夫の「小さいマリの歌」が胸を打つ。近代日本が近代的自我を形成していくなかで、社会が壊したものは何かが問われていく。朗読、歌、ダンスが交錯する。小説の地の文が鬼気迫る絶叫調で延々と朗読される一方、せりふが静かに読まれる。あるいはその逆。歌とすばらしいダンスがムードを変える。あるいは気の遠くなるようなポーズをともなって読まれる詩文。「声」を与えられた文学テクストのパフォーマンス。息苦しい日々の暮らしのなかで、久しぶりにたっぷり酸素を吸った気分だ。雨足が強まるなか、駅前で味噌ラーメンを食べて帰る。

コロック:世界文学から見たフランス語圏カリブ海

世界文学から見たフランス語圏カリブ海ネグリチュードから群島的思考へ

Colloque international Les Antilles français au prisme de la litterature-monde ;
De la négritude aux pemsées archipéliques

25日と26日、日仏会館で開かれたきわめて充実したコロックに参加した。初日、フォンクアさん、ヌーデルマンさんによる基調講演。「問題としての世界/解決としての芸術」という題目がすでに、グリッサン詩学が世界に向けて発信したメッセージの核心を射抜いている。「高度必需」宣言にしても、「詩」の現実への介入こそが求められていたのだから。いま輪読会で読んでいる『トロピック』第2号(1941年7月号)に掲載されたルネ・メニルの「詩の方向」という濃密なエッセイに論じられていたのも、現実のさなかで立ち上がり、現実を補完するポエジーの必要性である。セゼール〜メニル〜グリッサンのディスクールが開いた政治=詩学の地平に立つ群島的思考は、21世紀のグローバル化する世界に、いかなる想像界をひらくのか。

ラフカディオ・ハーン再考。ニューオリンズ〜マルティニクを経て日本に漂着したハーンは、ジャーナリストの貪欲さで土地のことばを取材したのだろう。それにしても、ハーンはどこでフランス語をマスターしたのだろうか。

午後にマルティニクの音楽と料理のセッション。尾崎さんの鱈・唐辛子・砂糖の話は、僕のグリッサンと音楽の話と、世界化と土着化が対立項とはならない文化の局面を確認する作業という点で通底する。今回の発表のために、3か月近くかけてフレンチ・カリビアン音楽を中心に40枚以上のCDを聴き、グリッサンの音楽についての発言と組み合わせた。至らぬ発表だったが、2001年に加藤周一とグリッサンが対談したこの場所で、グリッサンについて話す機会をいただいたことはあり余る光栄であった。

ネグリチュードから群島的思考へ」は群島的思考の可能性を詩的に展開する重要なセッション。彼処で『ラマンタンの入り江』が引用されていた。やばい、もうやらなくては…。

夜はティポンシュをいただいていい気分になったあと、ライブ・ペインティングとギター演奏を従えたジョビ・ベルナベさんの朗読。太くすばらしい声だ。聞きにきてくれた同僚と食事して帰る。ヌーデルマンさんが新しく出されたグリッサンの評伝を買ったが、表紙のグリッサンの写真がかわいすぎ。

2日目。午前中の「フランス語圏の女性文学」はすごく興味深かった。シモーヌ・シュヴァルツ=バルトは大辻さんに早く訳してもらいたい。そして元木さんのナビのおかげでカメルーンのレオノーラ・ミアノLéonora Miano(1973- )を知ることができた。グリッサンのマルティニク・サガを読んでいだときに感じたこと、それはアフリカがブラックボックスだということだった。ベリューズとロンゴエの家系がアフリカではどうだったのか? もちろん起源神話を拒絶するグリッサン文学ではあるが、やはりアフリカという源泉への興味が沸いたのは事実だった。ミアノは、サブサハラに祖先を持ちヨーロッパに生まれた人々にAfropéen(ne)という名を与える。彼女の文学は、アフリカ側からのアフリカン・ディアスポラへの応答である。アフリカ三部作、とくに奴隷貿易の時代にアフリカの地で息絶えた忘却された人々を描いたという『深紅の夜明け』を読んでみたい。

最後のセッションでは西谷先生による世界史批判の話に聞き入った。1996年の駒場のLa modernité après le post-moderneのコロックは懐かしい。このころ、ぼくはグリッサンを読もうと決意したのだった。テクストの難解さに何度も跳ね返され、何の成果も挙げることなく過ぎて行った年月を振り返った。まあ仕方ない。できることをやって歩いていこう。

ジョビさんの朗読CDを買って、武蔵小山のその名もマルティニクというレストランで打ち上げ。アンティユ大学のマニュエル・ノルヴァさんの早口のフランス語についていくのは難しかったが、グリッサンにおけるクローデルの影響を力説されていた。『詩法』をもう一度ひも解いてみよう。今回の経験が、自分の停滞を打ち破るきっかけにならんことを願う。オールスター・メンバーの今回のコロックは、まぎれもなく、2011年震災の直前に旅立ったグリッサンへのオマージュであったのだ。

シンポジウム「火山のめぐみ」

14時を少し遅刻して明治大学中野キャンパスへ。充実したシンポジウムだった。赤阪友昭さんの発表は、比較神話学の観点から、古事記とハワイの創世神話の類似点を「火山」のトポスから探索。イザナミイザナギの産んだ火の神カグツチに注目。黄泉の国の黄色とはすなわち硫黄。カグツチは火山の相者である。前期縄文人を滅ぼしたのは火山の噴火であった。大辻都さんはフラの詩におけるペレ神話に着目。女神ペレの住処は火山であるハワイ島である。フラという舞踏に体現される火山の叙事詩。2017年、ハワイ島ヒロで行われたメリーモナーク・フェスティバルの優勝者のフラ・ダンスのすばらしさ! 井上昭洋さんのレクチャーで、ハワイの集落単位アフプアアの形態を学ぶ。各集落は短冊状に区分けされ、山から海までを含んでいる。それが生活空間の基礎なのだ。松田法子さんのアイスランドの映像と詩的解説がそれに続く。バイキングが定住した氷雪の島。そこにへばりつくようにかろうじて広がる草原。ぼくが大好きな風景だ。地熱発電の土地。穴熊の巣のようなロング・ハウス。ウィリアム・モリスを魅了した荒野を旅してみたい。大川景子さんの映像作品は、ドリアン助川さんがイタリアから仕入れたトマトの種を三宅島で育ててもらう物語。噴火で被災した土地をどう復興するか、という問題に対する鮮やかな解答例をみた感じがする。がんばれ、菊池農園。最後は写真家津田直さんのフィリピン、アエタ族に密着したフィールド・レポート。物々交換で暮らすアエタ族が1991年のピナツボ火山の噴火で被災した。火山山麓の土地に残るか、移住するか。火山灰に覆われた土地でもバナナは育った。人々はそこで自分たちが生かされていることを実感する。土地に生きることの意味を津田さんのレポートは伝えた。総合司会の管啓次郎さんが提唱する「比較詩学」の射程の豊かさを実感する一夜であった。さまざまフィールドを横断する詩的な思考(つまり自由、ということだ)がいかに生産的でインパクトのあるディスクールを実現するかを目の当たりにした。自然のエレメントをいかに語るか。比較詩学が差し出す語りの束。自由な発想を実現する具体的な場。

プレザンス・アフリケーヌ国際シンポジウム

 東京外国語大学で3日間開催されたが、初日22日と23日途中まで参加した。1947年にパリを拠点にアウリン・ジョップの尽力で創刊され現在まで刊行が続く黒人知識人の文化総合誌「プレザンス・アフリケーヌ」の歩みを考察する画期的な国際シンポ。とくに1955年からの第2期にフォーカスされた。1956年にはパリ、ソルボンヌで第1回黒人作家芸術家会議、59年にはローマで第2回、66年にはセネガルダカールでの第1回芸術祭が開催される。アフリカの独立、合衆国のハーレム・ルネサンスから公民権運動、カリブ海ネグリチュードなど黒人意識の高揚を支えた同雑誌の意義は計り知れない。シンポジウムと平行して開催されたパネル展示も実に興味深かった。
 初日は現編集長、パリ第4大学のロミュアルド・フォンクア氏による基調講演。黒人労働者との距離、女性作家の発言の少なさなど、雑誌のスタンスの限界も指摘された。しかしそれによって雑誌の射程もまた明らかになる。アフリカ人、ハイチ人、仏領カリブ海人というまったく出自と社会状況の異なる知識人を集わせたプラットフォーム。立花先生の発表でアウリン・ジョップとセゼールの貢献の意義を理解するとともに、黒人意識は消せるものではなくその持続のうちに未来を構想する必要があるというスタンスにまったく同調する。その消失はあり得ないからセゼールは共産党を出たのだった。その消失は文化とアイデンティティの消失であるだろう。現在の世界論にとっても、こうした歴史的軌跡の確認は欠かせないだろう。シェイク・チャムによるサンゴールとグリッサンの比較論は興味深かった。混交をあらかじめ前提とするサンゴールと予測不可能な混交を原理とするグリッサンとのコントラスト。
 2日目では、中村さんによる「国民詩論争」のじつに手際よい解説。アラゴンに応答するドゥペストルを批判するセゼールから、アフリカ語で書けない苦境のなかでやはり形式が内容を左右することを自覚するシェイク・アンタら(でよかったか?)。主体形成とランガージュ形成とが表裏一体の切実な問いであったことを確認する。廣田さんによるセゼール・グリッサンのpolitique/poétiqueの比較は密度が高かった。どこまでがpolitiqueでどこからがpoétiqueなのか。かつてデリダはグリッサンのpoétiqueをpolitiqueと呼んだらどうかと発言したことがあったことを思い出した。松井さんによるジョゼフ・ゾベル「黒人小屋通り」はおもしろかった。1人称の語りにおけるintersubjectivitéの問題。ユーザン・パルシーが「マルティニクの少年」として映画化したこの小説。読んでないのだ。読まなきゃな。

Jacques Dumont氏講演会

昨日、今日と仕事のあとがんばって早稲田へ。グアドループ在住のアンティル大学教授、カリブ歴史学会会長を務めるジャック・デュモン氏のセミナーに参加する。昨晩は「フランス語圏カリブ海の現代史を振り返る−−文学・歴史・アイデンティティ」と題された大教室での講演。両大戦間あたりから90年代のクレオール宣言あたりまでを俯瞰された。歴史家ならではの冷静な視点に立ちつつ島嶼界の文学運動の展開を手際よく整理された講演と丁寧なパワポハンドアウトは、実に勉強になった。repèreとして1932年の『正当防衛』と40年代の『トロピック』が注目された。『トロピック』は昨年から輪読会で読み始めているが、ここのところルネ・メニルの重要性(naissance de notre art)を理解しつつある自分にとって、デュモン先生が「不当に無視されているルネ・メニルに注目すべきだ」と発言されたのは、まさにわが意を得たり、だった。セゼールやグリッサンのlitanie(デュモン氏)とも言えるテクストに比して、端正な哲学的ディスクールでありつつ、カリブ海の新しい美学への大胆な提言が展開されるメニルのテクストは注意して読んでいきたいものだ。今晩は8人ほどの研究会だったが、先生に各自が質問をしそれに答えていただくというかたちですすんだ。想像界を縦横無尽に駆使できる文学/できない歴史。しかしその往還は実にスリリングである。デュモン先生は大変情熱的かつ誰の意見にも真剣に耳を傾け答えてくれる紳士であった。研究会のあとは近くの中華料理屋で打ち上げ。充実した2日間だった。L'Amère patrie (fayard)を読もう。