フルートを吹く

勤め先の吹奏楽部の定期演奏会ティーンエイジャーとともにステージで1曲フルートを吹いた。曲は70年代後半の吹奏楽の名曲Disco kid。その名の通りディスコ調でSky highとかThe hustleみたいなわれわれの年代には懐かしい雰囲気。8小節のソロまでもらった。楽しかった。(ちなみにこの曲の究極の名演はこちら。https://www.youtube.com/watch?v=7RhtfzmSD00 村上ポンタ秀一さんのドラムがキレまくってます。)

とはいえ、ほぼ4年間のブランクのあと合奏に加わるレベルまでコンディションを戻すのは予想以上に大変だった。1月中旬から練習を再開して、まともな音が出るまで1か月。演奏会の直前になってようやく楽器が鳴るようになったけれど、運指のトレーニングは追いつかなかった。前みたいな運動性を回復するにはスケールの練習を積まなければならないだろう。

僕の楽器はYAMAHAのYFL-41。高校生のときに買ってもらった銀メッキのフルートでこれを今でも使っている。去年意を決してオーバーホールした。ぼくはフルートを人に習ったことがない。中学のブラスバンド部で吹き始めたとき、吉田雅夫の「フルートとともに」というNHKの番組を見たのが唯一のレッスンだった。教本も吉田先生の「フルート教則本」だけ。ソノリテもアルテもやったことがない。

ひさしぶりに楽器と格闘すると、今まで考えもしなかったことが意識される。それが面白かった。フルートって吹奏楽器のなかでは実に原始的な楽器だと思う。リードや唇を震動させることもなく、ただ歌口に息を吹き込む角度を調節することで発音する笛なのだから。息の流れを音にする。歌口が声帯である歌手になる。そしてフルートの練習はけっこうな運動である。背筋を伸ばして立ち、深呼吸の連続、それに腹筋を使う。健康にいいことこの上ない。せっかく再開したのだから、これからもなんとか時間を作って吹き続けようかとも思う。

好きなフルーティストは、と聞かれたら、ペーター=ルーカス・グラーフと答える。スイス人で、最初に買ったフルートのレコードはグラーフのバッハ、フルートソナタ全集だった――一番好きな曲は、偽作としてのちに全集から削除されたg-moll。高校生のときによく吹いていた――。その静謐な音と音楽作りが好きで、高校生のとき東京文化会館までリサイタルを聞きに行ったことを覚えている。もう亡くなっているだろうなと思ったら、なんと昨年90才で来日してリサイタルを開いているではないか! これは奇跡である。 

 

マリーズ・コンデへのオマージュ

 義父の葬儀を終えて、18時恵比寿日仏会館に滑り込みで間に合った。三浦信孝×管啓次郎×大辻都という豪華キャストの講演会。昨年スキャンダルで中止となったノーベル文学賞代替のニューアカデミー文学賞を受賞したグアドループの女性作家マリーズ・コンデへのオマージュである。東京でお会いしたことのあるFrançoise Vergèsさんの脚本、Jérôme Sesquin監督による50分のドキュメンタリー・フィルムMaryse Condé, une voix singulière(2011)を観てからディスカッション。前から見ようと思って作品だが、こういう環境でじっくり鑑賞できたのはありがたかった。そして3人のお話しから作家コンデの凄みを再確認した。やや観念的なグリッサン・ワールドに対してコンデの小説世界にはアフリカ人との最初の結婚をはじめ、アフリカ、カリブ海、フランス、アメリカを股にかけたさすらいの実人生のリアリティがより強く反映されていると言えるだろう。アラブ、イスラムについての主題も創作に織り込まれているようだ。伝統料理ではなく創作料理が得意というエピソードは非常に興味深かった。大いなる単独の渡りを紡ぐ文学者マリーズ・コンデを再読しよう。今まで読んだのは管啓次郎訳の『生命の樹』、くぼたのぞみ訳『心は泣いたり笑ったり』、風呂本・西井訳『私はティチューバ』、かつて管先生のゼミで読んだTraversée de la mangrove、くらいか。Les derniers rois mageを途中でやめてしまったのでもう一度チャレンジしよう。Madeleine Cottenet-HageとのPenser la créolitéもあったな。最近の料理をテーマとした作品も面白そうだ。家に帰ってから三浦先生編訳の『越境するクレオール』をもう一度開いた。

                  ★

会場で松井裕史さんからゾベルの『黒人小屋通り』を、また中村隆之さんから『ダヴィッド・ジョップ詩集』を頂いた。どちらも画期的な訳業である。しっかり読んで感想を書かせていただきます。最近講演会に出かけるたびすばらしい本を頂戴し、まるでわらしべ長者になっていくようだ。

 

石田英敬先生最終講義

 午前中の授業を済ませて本郷へ。15時より福武ホールで石田先生の最終講義が始まった。今日のお話のなかではマラルメフロイトが大きなトポスである。マラルメは文字/記号が自動的に展開する現代のメディア状況を看破し、機械の無意識が人間に侵入する現代のわれわれの生活状況はフロイトにさかのぼって考察される。自走する記号と機械の無意識、ヒューマニティの根底に横たわるそうした「人間のゆらぎ」の基底条件の考察を無視してこれからの人文学はありえない、と石田先生は説かれた。

 寺山修司の「さらばハイセイコー」(泣けるね)をガイドにご自身の歩みを振り返ったお話は身の引き締まるドキュメントだった。配布されたふたつの論考「詩の言語と数の言語」と「〈情報記号論〉講義」によって、先生の研究の主題(記号学と情報学の接続)と実践をあらためて簡潔に辿ることができたのはありがたかった。90年代後半、言語情報の先生のゼミに参加し、「イジチュール」を自力で全訳してそこにデカルトの影を読み取ろうとした噴飯もののレポートを書いたことのある自分にとっては、前者の論考で言及されていた「社会のポイエーシス」の書籍化が待たれる。(まったく無関係にグリッサン/シャモワゾーらの「高度必需宣言」が頭をよぎる…。)詩学とポリティクスの接続を石田先生からぼくは学んだ。ゼミでの白熱した「君が代」議論も懐かしく思い出される。会場でデリダの『精神分析の抵抗』を頂いた。      

 祝賀会では久々にお会いした小野正嗣さんの洒脱なスピーチを楽しんだ。久々の「石田節」に勇気づけられて会場を後にする。ぼくも自分のできることにベストを尽くそう。数日後、ふたつの論考を熟読しているうちにフッサールをちゃんと読もうと思い立ち、田島節夫『フッサール』を久々にひっぱりだした。大きな船で大海を行くオデュッセイアの冒険譚を仰ぎ見ながら、一枚のレコードを聴くための無人島を探す崩壊寸前の筏の漂流は続く。

 

ミアノ読書会

早稲田にてL'impératif transgressifの読書会。今日も充実したディスカッションだった。Mianoの議論がアフリカ、サブ・サハラ発のポスト・コロニアル批評なのだなあと朧気ながらその射程が見えてきた。3月で大学を去られる立花先生から何冊かの本をいただいた。以下備忘録メモ。Michel Butor, Répertoire Ⅱ(ちなみにRépertoire Ⅳは持ってる)、Mike Dufrenne, Le poétique (ハイデガー現象学、自然。『眼と耳』は持ってる)、Umberto Eco, A Theory of Semiotics(邦訳は持ってる)、Jean-Paul Corsetti, Histoire de l'ésotérisme et des sciences occultes。4月からも引き続きよろしくお願いします。

レオノーラ・ミアノ『顕れ~女神イニイエの涙~』

慌ただしい状況のなか、朝の重苦しい用事を済ませて、なんとか12時過ぎの新幹線に飛び乗って静岡へ向かう。静岡芸術劇場にて、カメルーン出身フランス在住の女性作家レオノーラ・ミアノが2015年発表したRévélation(日本語上演にして世界初演)を観る。14時開演。西洋の暦で言う16世紀以降、三角貿易に巻き込まれ、多くの奴隷をヨーロッパに売ったアフリカの歴史の闇が浮上する。ぼくはディアスポラ文学に(とりあえず)分類されるエドゥアール・グリッサンを読んできた。アメリカスのプランテーション文化圏の根源にある奴隷貿易。奴隷の子孫たちの悪戦苦闘の歴史をたどり、そこから世界の見方を教わった。しかし奴隷を売り渡した側から見ると、この問題はどのように語られるのか。ミアノはおそらく初めてアフリカの側からその闇を真正面から取り上げた作家であろう。パンフレットの元木淳子さんによれば、ミアノは「奴隷貿易に端を発する暴力と拉致の構造は、植民地時代に強化され、ポストコロニアルの現在も大陸に存続している。・・・ディアスポラの人々と同様、アフリカの民もまた奴隷貿易の子孫なのだ」と主張する。劇の最後で女神イニイエは「始まりの大陸」に覚醒を促し未来への希望を語る。その長台詞は祈りにも近い。

それにしても、宮城聰のなんと斬新な演出だろう。俳優はミュージシャンも兼ね、舞台下のオーケストラ・ピットで打楽器を演じつつ舞台を往復する。(ちょっとピーター・ブルックを思い出す。)棚川寛子の音楽はアフリカン・テイストであり繊細であり劇の運びに即興的に魔術的に寄り添っている。セリフと音楽のその精密なシンクロ具合に舌を巻いた。さすが去年の秋、パリのコリーヌ国立劇場で1か月のロングランをこなしただけのことはある。

同胞を奴隷としてヨーロッパに売り渡した「一千年のつみびとたち」、部族の長や王たちがイニイエの前に召喚され自らの罪を語る。その一人、子供を授かることのできなかった辛さゆえに女たちを異国に売った巫女オフィリスの告白が胸を打った。オフィリス役のたいきみきの演技がすばらしかった。ここがぼくにとっての悲劇のクライマックス。しかし、この劇は単なる断罪ではない。それぞれの立場の霊たちのコミュニケーションが主題である。そのあたりにぼくはポスト・グリッサン的な詩学を感じた。

宇宙的スケールで展開された大いなる輪廻転生思想劇。いくつかの言葉に励まされながら子育ての試練となった重い課題の待つ東京に戻る。

 

 

 

 

ミクマク賛歌

今日は東京文化会館で高校生の音楽会を聴く。そのなかで、北米ミクマク族の音楽に触発されてL.Adamsという作曲家が書いた「ミクマク」賛歌という合唱曲にノックアウトされた。まず合唱団の半分が観客席に散らばり、舞台上のグループが微妙に音程のずれたロングトーンを重ねていきリゲティクラスターみたいな陶酔的なノイズが出現した。そこにバウロンみたいな太鼓のドローンが打ち鳴らされ、断片的なメロディが展開するのだが、驚くべきことに観客席のメンバーは歯のあいだから息の漏れる音、コヨーテの遠吠えのような叫び、口笛などを発し、ホール全体は北米の荒野へと変貌した。すばらしい曲であった。一気にテンションが上がり、午後は上野から秋葉原まで散歩。JRガード下に出現したすてきなギャラリー・モールを発見した。思いがけない発見のあった一日。

サン=ジョン・ペルス『鳥』

サン=ジョン・ペルスの詩集『鳥』を、フランス語のテクストに有田忠郎訳を照らし合わせながらじっくりと読んだ。グリッサンの評論『ラマンタンの入江』のなかで、なぜか『鳥』への言及がないことがずっと気になっていたからだ。グリッサンにとってペルスは最重要詩人の一人であり『ラマンタン』のなかでもペルスの主要作品がいくつか論じられているのだが、なぜか『鳥』だけが欠落しているのだ。読んでみて、なるほどと思った。
 ペルスの「鳥」は晩年のジョルジュ・ブラックが制作した石版画の「鳥」シリーズの図録に掲載されることを目的に書かれた。ペルスとブラックを引き合わせたのはジャン=ポーランである。ペルスは個々の種類の鳥ではなく飛翔する鳥の原型を描くブラックの仕事に共感してこの長詩を書いた。そこでブラック−ペルスは群れではなく個体としての鳥へと注目する。グリッサンはもちろんペルスの『鳥』も読んでいただろう。そして、おそらくペルスとは違った角度から鳥を見ていたのだ。それは『ラマンタン』冒頭に登場する、あの「無限定な鳥」の群れのイメージである。グリッサン詩学の基本的な特徴のひとつは、個物の境界のあいまいさがもたらす豊饒さである。グリッサンは閉じた存在を嫌う。彼の視線はつねに他者との関係に開かれてある存在様態へと向かう。鳥へのまなざしも、グリッサンにとっては普遍的原型的な鳥の個体ではなく、変幻自在にその姿を変える鳥の群れや、単独でもその同定がかなわぬ鳥(モンショワシーのゼミ鳥やコエ)へと向かう。グリッサンはきっと、ペルスが言挙げする「原型の鳥」に触発されて、自分の視点で鳥の複数性の詩学を書いたのだろう。震動の詩学をひらいたグリッサンのテクストのあちこちに鳥たちが飛び回っている。
                ★
ペルスのノーベル賞記念講演のテクストも再読。そう、こんな力強い言葉もあったのだ。
「芸術を生命から、認識を愛から分離することを拒む、すなわち詩は行為であり、力であり、そして常に限界を拡げてゆく革新であります。愛はその中核、不服従はその掟、そしてその領域は、すべてに先駆けるところ、あらゆる場所にあります。詩は不在や拒否であることを決して欲しないのです。」