Le Meme est autre?

 翻訳の仕事がひと段落してようやく少し余裕ができた。この疑似日記も昨年の夏以降重要な欠落がたくさんあるので、それぞれにあてはまるところに後から埋め込んでいこう。春からの仕事を考えると実に憂鬱であらゆる気力が萎えていくのだが、考えても仕方がなさそうなので考えないことにする。
 今日は駒場のシンポに出かけた。山田先生の司会でグザヴィエ・ガルニエさん、エステル・フィゴンさん、星埜さんの発表を聞いた。ガルニエさんによる「東アフリカにおける言語と文学」の発表のなかでふれられた、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴの創作言語選択の問題を聴きながら、言語による創作、翻訳、受容について改めていろいろ考えた。グギははじめ英語で書いていたが、途中で自らの母語であるキクユ語に切り替えたという。そこには英語で書いていたときの投獄経験や自らの美的関心がかかわっている。作家が創作言語をどのように選ぶかは本人の創作を支える土台である。きっと「その言葉」でなければそのときその作家は書けないのだろう。どの言語で書くか、それはたとえば造形作家がどのような素材を選択するかという問題と似ているのではないか―――もっとも作家の場合、素材は造形作家ほど自由に選択できるものではないだろうが。さて、作家が支配的言語の抑圧を逃れて自分たちがそこで生きる自然ないし環境の一部であることばを取り込み、他者にとってはopaqueな言語構築物をつくる道を選択するとき、それはひとつの原生森になる。その言葉を理解しない他者はその森に苦労して分け入って行くしかない。それは快適に整備された公園ではない。そうした創作は(とくにアフリカやカリブ海など植民地経験のある地域の)作家の権利表明である。ところが、言語作品の宿命/可能性として、それは常に翻訳される。そして翻訳された言語がもとの言語の錯綜とした繁茂をきれいに刈り込むことがよく生じる。そのとき、もとのエクリチュールの生命はどうなるのか? キクユ語で書かれたテクストも英語に翻訳されて万人に読まれる。それは創作言語が翻訳され受容される場合の一般的問題である。たとえばチュツオーラが書く英語のテクストはものすごく複雑なのだそうだが、僕が読んだレイモン・クノー訳のフランス語バージョンはとっても平易に書かれていてすらすら読めた。しかしすべての翻訳がテクストの透明化に貢献するものだとは言いきれないだろう。たとえばグリッサンの『第4世紀』のBetsy Wingによる英訳では、標準的なフランス語のシンタックスからかけ離れたおそるべき呪文のような長大なパッセージを、そのままフランス語の単語だけを英語に置き換えた部分がある。これは英語としても当然破格であり、原文のopaciteはそのままになっている。英語で読んでも途方に暮れる。
 翻訳という行為をどう考えるべきなのだろうか? 言い古されたことだが、翻訳はテクストの演奏である。それはひとつの解釈であり、読解例であり、作家が創作した作品をより大きな広場へ開いていく実践である。だから翻訳文学を読む読者はそれを肝に銘じるべきなのだろう。例えばあたりまえのように日本語で翻訳モノを読んでいても、それはすでに複数の言語の旅を渡ってきた産物なのだ。日本語に翻訳されたテクストを手にとるとき、僕たちはその旅を想像するべきなのだろう。グリッサンが唱える「言語の複数性」の思想とは、たとえばそういうことなのだろう。