リービ英雄さんドキュメンタリー映画を見る

 仕事のあと明治大学中野キャンパスへ。東京ヘテロトピアの総括レクチャーの途中から入る。そのあと大川景子監督『異郷のなかの故郷――作家リービ英雄52年ぶりの台中再訪』を見る。強烈なインパクトのあるドキュメンタリーだった。合衆国の外交官の父をもつ作家が幼いころ住んでいた台湾のある家屋への訪問。しかしそこは両親の離婚という辛い過去がしるされていた場所であった。作家は当時の記憶がフラッシュバックされてうろたえる。そして自らの軌跡と現在の地点を再確認する。神楽坂のカオスのような仕事部屋に、作家の孤独と文学へ賭けた人生が迫って来る。ぼくはこのフィルムを見るべきだったのだろうか...。これからリービ英雄さんの作品を読むとき、決してこの映像を忘れることはないだろう。アメリカ、台湾、中国、日本...。複数の文化の混在のなかで日本語で書き続けるリービさんのアフタートークをしめくくる言葉が印象に残った。21世紀の創作において、言葉はひとつの言語のなかだけでエラボレイトされうるものではない。創作は翻訳のようになるだろう。その言葉に必ず混入する他言語。そうした揺れのなかで創作はなされる。まさに創作言語はヘテロトピアなのだ。リービさんの迫力あるかみしめるようなパロール自体にもそれは現れているように思えた。グリッサンの詩学がここでも浮上する。批評言説の貧しさなんて言わなくてもわかる。それはただの道しるべ。リービさんの作品を読もう。