グリッサン追悼1

このところグリッサンへの追悼文などに目を通して過ごす。
   
西谷修先生のブログを読むと1996年駒場シンポ、2001年日仏での加藤周一さんとの対談が懐かしく思い出される。臆病者の自分は結局眼前の巨人に一言も声をかけることができなかった。
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中村隆之くんから送ってもらったラファエル・コンフィアンによる〈Souvenirs du Tout-monde...〉はグリッサンに対してある程度批判的距離を置きつつ業績を讃える。グリッサンがクレオール語によるエクリチュールというラングのレベルへの固執には批判的で、それよりも《la poétique créole》の創出を話しことばのリズムやコントなどの口承性の取り込みによって目指していたこと、そしてその結果創作されたグリッサン語とも呼べる謎めいたフランス語のテクストは「アンティユ人にとってさえ難解である」こと、コンフィアン自身グリッサンの次第に難解さを増していく小説についていけなくなったこと、など興味深いエピソードや意見が述べられている。とりわけ、グリッサンがバトンルージュ大学やニューヨーク州立大学で教えた経験を通じてアンティユからから「全−世界」へとシフトした晩年に対して、アメリカの資本主義に取り込まれた多くの「第3世界文化人」が辿った側面を否定できないとする一節には率直なコンフィアンの立場表明が伺える。しかし僕には世界のさまざまなブルーズを連鎖させる重いオスティナートの詩学は「アンティユorグローバリズム」といった二項対立には収斂しないように思えるのだが。
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institut du tout-mondeのウェブサイトによれば、昨日5日、サンジェルマン・デ・プレ教会でミサがあげられ、9日にマルティニクのディアマンに埋葬される。中村君はミサに参列したのだろうか?