「記憶と創造の旅 マリーズ・コンデの文学と料理」を聞き逃す

今日はオンライン・ミーティング3連発。ふたつは昼間、もうひとつは夜。昼間は高校生のための英語交流で、モデレーターをやらねばならない。午前中がキャンベラ、午後が台湾の高校が相手で科学的なトピックについて数人ずつのディスカッション。ところがキャンベラの生徒たちがまったく準備しておらずやる気もあまりないようで、非常に消耗する。台湾の生徒たちはよく準備してきて有意義なコミュニケーションが成立したが、とにかく1日2つもやるとくたくたになる。もうろうとして帰宅して夕食を準備している最中に、大辻都氏のレクチャーの時間を間違えていることに気がついた。20時ではなく19時開始だった。あーあ。慌てて接続すると、もうタイトルの講演は終わっていて、第2部の「食のポリフォニー」と題された大辻さん×仲野麻紀さん×管啓次郎さんの鼎談が始まっていた。ダメージが大きくテンションが上がらぬまま視聴を終えた。

とはいえ鼎談は面白かった。高齢のコンデは口述筆記で作品を発表し続けていてそれはマリーズの創作いえるだろうが、マリーズの口述の指示で誰がが料理したものはそうは言えないのではないか、料理は自分の手で作るところに成立するから、といった大辻さんのお話や「料理と即興」という仲野麻紀さんのトピックは面白かった。料理は作って食べ終わるとそれで終わり...即興される音楽もまた然り。ドルフィーが言うように、それをふたたび捉えることはできない。そうですね。文字に定着されないことばも料理も即興される音楽も消えてなくなる。そういえば、大学生になって山を登り始めた頃、登山とは作品化されない芸術なのだ、なんて考えていたことを思い出した。それらはみな、身体との強力な絆のもとで現象する創作行為といえるだろう。