プルースト読書会 vol.4

今回、情けなくも読書会の日取りを間違えて参加を逃した。したがってタイトルに偽りありだが、とりあえず読書会のあった日付に駄文をアップすることにした。吉川一義訳『失われた時を求めて』第4巻は『花咲く乙女たちのかげに』の後半「土地の名-名」を収録、訳者あとがきを含めると700頁を越える。我ながらよく読んだものだ。ノルマンディー海岸沿いの保養地バルベックに逗留し、ひと夏を過ごす「私」の避暑地の出来事。なぜかユーミンの「9月には帰らない」が思い出されるのであった。ジュネットによると1897年夏と推定されるそうだ。今回フォーカスされるのはエルスチールの描く海洋画。印象派への眼差し。「土地の名-名」には絵画と絵画論があふれている。だが第4巻はとにかく大部な逗留記に描かれる当時のさまざまな風俗をひたすら楽しんだ。電気が通じ自動車が登場し生活の近代化が一気に進む19世紀末から20世紀初頭の時代の流れが読み取れる――そしてその末路が今僕たちが直面している気候変動とコロナ状況であるわけだ。この状況でプルーストを読む意味っていったい何だろう。

バルベックで私は娘たちの一団に出会う。「私」は相変わらず次から次へと心惹かれる女性たちとの出会いがもたらす私の変化を綴る。アルベルチーヌとの顛末は爆笑であった。それでも「私」はめげることなく、筆は進む。今回のパッセージはこれ。「現実の塵芥にも魔法の砂がまじり、なんらかの低俗なできごとが小説じみた飛躍の原動力を生む日々がなければ、くらしはなんの興味もそそらない…」(480頁)。がんばれ「私」。