トルストイ『戦争と平和』1

管啓次郎研究室主催、長編文学読書会は、プルーストセルバンテス、ダンテ、ホメロスと西欧エリアを遡行して、スラブ語圏に突入した。トルストイである。この読書会がなかったらおそらく一生読むことがなかったであろう『戦争と平和』である。。トルストイといえば、若いころ『クロイツェル・ソナタ』とか『イワン・イリッチの死』とか『光あるうちに光の中を歩め』とか短い作品をいくつか読んだだけでお茶を濁していたのだが、今回、分厚いロシア文学の世界に侵入して、19世紀初頭ナポレオンとロシア帝国がせめぎあう近代世界形成の動乱期を旅することとなった。

長編小説を読み始めてから次第にその世界に没入するまでに僕はわりと時間がかかる方だ。望月哲男訳光文社古典新訳文庫が今回のテクストだが、1巻を読み終えてもなかなかスイッチが入らない。読書会でもちょっと話題になったように登場人物たちがどうもジェンダー的に型にはまっているせいだろうか、はたまた僕の感情移入力の鈍さのせいだろうか、登場人物の印象が薄い。だがむろん読み進めるにつれて次第に作品との距離も変化するだろう。

さて、第1巻のなかで驚いたのはロシアとフランスが睨みあう戦場の場面を描いた次の一節である。「味方と敵の散兵線は左翼でも右翼でも互いに遠く離れているが、中央の、今朝がた軍使が往来したあたりでは、散兵線同士がごく接近していて、互いの顔が見え、話が交わせるほどだった。この辺りには散兵線を固めている兵士以外に、双方ともたくさんの野次馬が混じっていて、にやにやしながら、おかしな見慣れぬ風体の敵をじろじろ見物していた。」(448頁)ゲルニカへの無差別爆撃、ナチスユダヤ人虐殺など現代の戦争における大量殺戮の悲劇を想うと、なんとも別次元の戦場描写である。ここでふたたび、ミシェル・セールの『世界戦争』を思い出した。ホメロスの感想文でも触れたが、セールによれば古典的戦争とは無差別テロとは区別される、軍隊同士の代表戦だという。その戦争論を最初に読んだときはいささか違和感があったのだが、トルストイのこの一節を読むとなるほどと思う。兵士たちは軍は上司の命令がなければ勝手に敵を殺しあうことはない。

だがその一方でトルストイは戦場の凄惨さの描写を避けているような印象もある。今後の展開ではどうなるか。

第1巻で美しいなと思ったのは次の一節。「暖かな秋の、小雨の一日だった。橋を掩護するロシア軍の砲兵中隊が陣取っている小高い丘の上からは、目の前に開けた広大な景観が、斜めに降る雨のモスリンのような薄膜ににわかに覆われたかと思うと、またにわかにからりと開け、日の光を浴びて、一つ一つのものがまるでニスを塗ったように遠くまでくっきりと見えるのだった。」(350頁)。輪郭の鮮やかな瑞々しい風景描写である。