笠井叡×高橋悠治 透明迷宮

 三軒茶屋のシアタートラムで、笠井叡振付のオイリュトミーを見る。妻から何度も話を聞かされているR.シュタイナー系のあの霊的ダンスを一度見ておこうと思って出かけたのだが、一言で言えば、まさに魅了された。音楽は高橋悠治のピアノによるバッハの「フーガの技法」。8人のオイリュトミストたちが、時間の関節を脱臼させるように自在に伸縮する高橋さんの緩いピアノ(余計な力が抜け切ったところに存立する本当に凄いピアノだ!)に合わせて、まるで海中のクラゲのように舞う。身体の動きにうつし出される音楽のフィギュールが何と音楽そのものの息遣いをあらわしていることだろう。この動きは、ダンスが音楽を利用して自己主張する種類のものではない。音楽が身体表現のかたちをとって目の前に現れたようなものだ。オイリュトミストの動きは、たとえばカルロス・クライバーのような音楽と一体となったオーケストラの指揮者の動きに似ている、とでも言えようか...。
 優雅なオイリュトミーの動きには、鋭角的な変化やブレーキが生じることがない。動きは常にゆっくりと始まり、天使の羽衣のように緩やかに、ときに激しく震え、その動きを停止するときも緩やかな余韻を残す。だが、重力のくびきから逃れるためにやや中腰に重心を落とす姿勢であの動きを持続するにはかなりの身体的負荷がかかることだろう。
 それにしても、3声、4声と複雑に絡み合う対位法の音楽の様相が何と見事に空間化されていることか。リズムの語源であるギリシャ語のリュトモスとは本来定量的リズムではなく、たゆとう長衣の襞のように即興的に姿を変えるかたちを指していたことをバンヴェニストの小さな論文で知ったのはもうずいぶん前のことだが、まさに、オイリュトミーはリュトモスを体現するものであった。
 異なった表現領域のものたちが越境し共振する現場に立ち会えた素敵なひととき。