グリッサン追悼5

2月3日付Le Mondeに載ったル・クレジオの〈Lumière créole sur Faulkner〉を読む。グリッサンの『フォークナー・ミシシッピ』(1996)評である。同書はバトンルージュやニューヨークの大学で教鞭をとった時代の産物である。フォークナーを介してグリッサンはカリブ海社会とアメリカ南部を「プランテーション」という状況において通底させていく。したがって『フォークナー・ミシシッピ』はフォークナーからクレオール化の描線を延ばそうとする詩人の試みのひとつのバリエーションとして立ち現れる。グリッサンは世界の全体性の自覚と個別のものの苦悩というふたつの相反するものに立脚した詩学を試みたのだ、とル・クレジオは語る。そう思う。日本語訳、はやく読みたいものだ。