サルトリウスへ

今日は汐留の日仏文化協会にてグリッサンが亡くなってから最初の輪読会。巨大なビルや迷路のような地下通路を辿ってようやく到着。いつものように『コエ・ド・ラマンタン』を少しずつ舐めるように読む。そのあとはカレッタの一角にあるジャック・ポットで牡蠣を食べて帰る。大きな吹き抜けが気持よい。
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Le Monde 2月11日付の『サルトリウス』評〈La mémoire des invisibles〉に目を通す。そう、トニ・モリスンの『白さと想像力』、フォークナーの『サートリス』をにらみつつ読んでいこう。アフリカの想像の民les Batoutosの物語だが、Batoutosとはさまざまな言葉と幽かに結びつく、磁気のような不思議なコノテーションを帯びる。それはCohéeという語も同様である。さまざまなものたちをかすかに想起させる、という点が実にグリッサン的なのだ。『全−世界』で到達した語り結びと語り外し(?)の詩学が、初めてマルティニクという土地を離れて全開となった作品。さあ挑戦である。