This Is Not a Film

勤め先の秋の祭りを無事終えて渋谷のイメージ・フォーラムへ。イランのジャファール・パナヒの『これは映画ではない』(2011)を観る。反体制活動により政府より20年間の映画製作禁止を宣告されたパナヒが自宅で密かに撮影した映像。2011年のカンヌで黄金の馬車賞を取った。出だしは刺激的。映画とは何かを考えさせられる面白さ。自宅の瀟洒なマンションが舞台でペットのイグアナ(?)と闖入者の犬がアクセント。部屋の液晶テレビから東北の津波のニュースが流れる場面にははっとさせられるがパナヒのコメントはない。作品全体の流れは、自分自身を対象化したドキュメント、フィクション、過去の自作の解説をしながら言語と映像の緊張関係を語る映画論、といったいくつかのディスクールの審級を行き来する。撮影許可が下りなかった自分のシナリオを読み上げながら室内で撮影の設定を解説してそれを「映画行為」に仕立てようとして躊躇するところが(「痛い」という批評もあったが)僕にはスリリングだった。監督の躊躇は「リアルではないものへの違和感」から来る。この映像のスリルとは文化的に自宅軟禁に近い自らの状況を対象化することの可能性/不可能性のぎりぎりの瀬戸際から生みだされる。しかしその違和感はおそらく映画制作そのものの根底にもかかわっていく問題だけに刺激的なのだ。そしてその場面にはとても即興的なフローが感じられた。そのフローがディスクールの審級を乗り越える原動力となっているのだ。
 とはいえ、この映像が最後まで成功しているとは言い切れないような気がする。「ごみ収集人が登場したあとは平凡になってしまった」というおすぎさんの批評は、その通りだと思った。やはり限定された状況でのアイディアのスケッチのような感じの映像だと思う。監督の解放を切に祈る。