管啓次郎 『海に降る雨』

 今日の夕暮れはひときわきれいだった。先週の土曜、やっと左足の「高下駄サンダル」から解放される。でも骨が以前の強度に戻るにはあと2カ月ほどかかるとのこと。もうしばらくはそろりそろりと歩かなくては。管啓次郎の第3詩集『海に降る雨Agend'Ars3』(左右社)を読了する。身体に力が吹き込まれる読書だった。
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 「海に降る雨」とはなんと悠然たる風景だろう。空の水と海の水との大いなる循環。詩人の言葉はいつも一定の硬度を保ち、感傷的な装飾をまとうことなく、小石のようにさらさらと流れてゆく。ひ弱さとも激昂する叫びとも無縁な、しかしこのうえなく力強い詩行の進行を追っているうちに、身体に静かに満ちてくるエネルギー。無性にどこかに行きたくなる。地球の上を歩行したくなる。「私が歩くとき/小さな嵐がついてくる/青空の下の都会の歩道でも/みずみずしい緑にひたされた農村の土の道でも」(p.74)。その詩行とともに、さまざまな土地の褶曲を辿ろうではないか。「想像力がそれまでに想像したことのある〈世界〉を乗り越える、その一瞬を〈詩〉と呼ぶことにすればいいじゃない」(p.39) 歩行する詩人、管啓次郎は本作でまちがいなくひとつのプラトーを形成しつつあるように思われる。