ヴェルジェス・セミナー(1)

 今日は仕事を休む。子供を幼稚園に送り、昼は吉祥寺の「メグ」で『ニグロとして生きる』を復習。ビル・エヴァンスのビレッジ・バンガードのライブがかかってた。午後は幼稚園の三者面談。それを終えてから大急ぎで国立、一橋大学へ。少し遅れた。タイトルは「今日、植民地主義奴隷制の歴史をどう教えるか?」。ディスカッサントは鵜飼哲先生。世界で初めて「移動労働力」の確保手段となった「奴隷制」の意味をどうとらえるか? もちろん奴隷制と植民地支配を切り離して考えることはできない。奴隷制をめぐる言説はle discours moralではなくle discours historiqueとして設定されなければならない。しかしヴェルジェスさんが質疑応答のなかで話されたように、それはとてもむずかしい。植民地の歴史が「本土」の歴史の視野に入らないフランスで、教師が白人フランス人を前にして奴隷制を自らの植民地支配と結びつけて真っ向から教室で語ることを「恐れている」という現実がある。そもそも教師はその問題の扱い方に慣れていない...。これは日本でもまったく同様だと実感した(日本では教科書検閲の問題が深刻だ)。複数の歴史の可能性、必要性をどうやって提示するか? その実践例としてヴェルジェスさんが2011/12にルーブル美術館で行った、西洋絵画作品を通して、そこに描かれる「綿の衣服」「コーヒー」「煙草」といってアイテムを通してそれを生産する奴隷たちの存在を認識させようとする企画は興味深かった。あるいは2012年3月25日にかつての奴隷船の拠点港のひとつナントに落成した「奴隷制廃止記念館」。歴史の問題は芸術やその他の領域と連携しながら提示される必要があるのだ。そして現代でもかたちを変えて存続し続けるさまざまな「奴隷制」に人々を気づかせる必要がある。