クァジーモドの詩を読む

秋の日はつるべおとし。サルヴァトーレ・クァジーモドの詩集『そしてすぐに日が暮れる』(平凡社ライブラリー)を、河島英昭氏のすばらしい訳で読了した。1902年にシチリア島で生まれ、政府の土木局の役人として働きながら詩作を続け、仕事を辞したあと創作に専念し、1968年に亡くなった詩人は1959年にノーベル賞を受賞している。サン=ジョン・ペルスの前年である。本訳詩集には第二次世界大戦以前に書かれた初期の作品が収められている。

  人はみなひとりで地心の上に立っている
  太陽のひとすじの光に貫かれ、
  そしてすぐに日が暮れる

1920年から29年に書かれた作品を集めた第一詩集「水と土」の冒頭におかれる、この引き締まった抒情的な詩行には、かげりゆく光や落下といった、初期のクァジーモドに執拗に反復されるモチーフが凝縮されているといえるだろう。頻出する「あなた」はときに神でありときに性愛の対象であり、「あなた」によって私はつねになんらかの衰退を被り続ける。個人的には「デルポイの女」が好きかな。しかし、うーん、サルヴァトーレよ、もうちょっとがんばってくれ。もうちょっとアゲアゲのところがほしい気もする読後感です...。戦後は「社会詩」へと傾向が変わっていったという。 

グリッサンのLa Cohée du Lamentin(2005)のアダミ論のなかに不意に登場するのが上に引用した一節である。ギリシャ植民地という歴史的条件を背負った地中海の島に生まれ、島の風景のなかに苦さを歌い、流謫を歌い、処女詩集に「水と土」というタイトルをもつイタリア人詩人にカリブ海の島を文学的トポスとするグリッサンが反応する様子はとても興味深い。